ことだまとことだま

 

谷崎さんの『陰翳礼讃』を読んだとき、すぐに連想したのは、
子どもの頃にあった、家の外の便所のこと。
こわいと思ったことは、あまりなかったように記憶しています。
いつも薄暗く、どこかなつかしく、
和むような、甘えたような、なんともいえない、ぼんやりとした空間。
『陰翳礼讃』を読みながら、
あの場所のほの暗さを思い出していました。
新井奥邃(あらい おうすい)さんの文章を初めて読んだとき、
このひとの文章には、
陰翳を礼讃するような雰囲気は無いと感じ、
まったく異質な別次元のものに触れたとの思いがありました。
それは、
ことばでいうと、
ふつふつと湧いてくるような明るさであったと思います。

 

明朗なる上代社会では神は現前し事霊の観念は本有の相を以て存在したのであつたが、
平安闇黒の社会では神をもこの観念をも喪ひ
超人的幻影を随時随所に描出し、
或は之に頼み或は之を恐れる情況であつて、
新古今集に幽玄を求めたことも
実は
この心の闇さと闇さのうちに何者かを求め手さぐることに外ならぬのである。
言語の霊といふ思想は
この陰性の時代思潮の産んだ子供の一人である。
上代の事霊の思想は後に説くやうにこのやうな陰性のものではなく
「事霊のさきはふ」とある通り
咲き映へる
極めて陽性のものであるのである。
(鈴木重雄『幽顯哲学』理想社出版部、1940年、p.338)

 

鈴木さんのこの本がむちゃくちゃ面白かったので、
『古事記』を改めて読んでみました。
冒頭の「序」にすぐに「幽顯」のことばが現れ、ハッとしました。

 

幽顯いうけんに出入して、日月目を洗ふに彰あらはれ、
海水に浮沈して、神祇じんぎ身を滌すすくに呈あらはれき。

 

西宮一民さんは、
「伊耶那岐命が黄泉国《よもつくに》(幽)に伊耶那美命を追って行き、
現《うつ》し国《くに》(顕)に帰って、
目を洗った際、
日の神(天照大御神)と月の神(月読命)とが出現した。
伊耶那岐命が筑紫《つくし》の日向《ひむか》の橘《たちばな》の小門《おど》で
禊をして多くの神々が出現した。」
と訳されています。
ということで、
鈴木重雄さんの『幽顯哲学』、
何度か読み返すことになりそうです。

 

・猫柳ふるさとの夢ふふむかな  野衾

 

これもこころ

 

同時並行で読んでいるセネカさんの本にも、しばしば、こころに関することばが
でてきます。
『古事記』をふまえての日本語の語源をたどる言説は、
とても興味ぶかくおもしろく読みましたけれど、
国はちがえ、時代はちがっていても、
ストア派のセネカさんの言説は、
こちらはこちらで強く訴えてくるものがあります。

 

必要から生ずるのではなくて、欠陥から生ずる欲望には、
どれにもみな同様の性質があります。
その欲望ゆえに、
どんなに沢山のものを積み上げても、貪欲には限りがなく、あるのは次々の段階です。
それゆえ自己を自然の限界内に留める者は貧困を感じないでしょう。
しかし自然の限界を逸脱する者は、
たとえ最高の富の中にあっても、貧困に付きまとわれるでしょう。
追放の地といえども必要品には足りていますが、
王国といえ不必要品にも足りることはありません。
われわれを富ましめるもの、
それは心です。
心は追放の地にまで付いて来ます。
そして荒れ果てた荒野の中においても、肉体を支えるに足るだけのものを見つけると、
それ以後は心自体が自己の財産の中にいっぱいに満ち溢あふれ、
喜び楽しむのです。
金銭は心には何の関わりもありません。
それが不死の神々に関わりのないのと同じです。
(セネカ[著]茂手木元蔵[訳]『道徳論集(全)』東海大学出版会、1989年、p.102)

 

セネカさんは、流刑の身にあって、不運を嘆く母ヘルヴィアさんの悲しみを和らげる
ために手紙をしたためました。
クラウディウス帝が即位した西暦41年、
セネカさんは、
カリグラさんの妹ユリア・リヴィラさんとの姦通の罪に問われ、
弁解無用の判決を受けて、コルシカ島に追放されました。
クラウディウス帝の最初の后メッサリナさんと
その共謀者たちの陰謀によるものだったらしく、
セネカさんは、
無実の罪の犠牲者になりました。

 

・炭を引き庭でピンポン春隣  野衾

 

ころころこころ

 

わたしの読書遍歴をふり返るときに、夏目漱石さんの『こゝろ』は外せません。
衝撃があまりに大きく、
その度をじぶんで計れないぐらいでありまして、
なので、
こころに関することを目にすると、
どのジャンルの本でも、
つい、目が行き、くり返し読むことになります。

 

「くるくる」は「ころころ」に変る。古事記の二神の国土修理固成の条に
「塩許袁呂許袁呂邇書鳴而しほこをろこをろにかきならして」引上げ給ふときに
游能碁呂島おのころしまが成つたと述べてあるが、
その許袁呂許袁呂はころころである。
この語は雄略記の三重采女の歌にもある、
「瑞王盃みづたまうき 浮し脂落ちなづさひ みな許袁呂許袁呂に
しもあやにかしこし」。
許袁呂許袁呂は動きめぐる貌をいふ。
游能碁呂は己おの許呂であつて神意に依らず自意に基いてできたゆへ斯く名づけ
神の子に数へぬのである。
ころころは更に「こりこり」となり凝集の意を表はす。
ころころは主として巡り動く貌さまをいひ
こりこりは主として動き巡りの集結主格のことをいふ。
「こころ」はこりこりの約まつた語であつて
上代人は流動作用の凝集点即ち中心を心と観念したのである。
幽顯めぐりの核といふ意である。
それゆへに心は単なる流動でもなく又単なる静止でもなく流動の中点
といふことである。
(鈴木重雄『幽顯哲学』理想社出版部、1940年、pp.440-441)

 

ずっところころ転がっているわけではなく、かといって、止まっているわけでもない。
ころころ、っと行って、ちょと止まる、
で、また動く。
つねに動いていくところの中心。
それが「こころ」。
引用した箇所の後ろには、
「要するに上代の心の観念は流動の中心といふ義である」
の文言も見える。
また、
「游能碁呂は己《おの》許呂であつて神意に依らず自意に基いてできたゆへ
斯く名づけ神の子に数へぬ」
というのも、
腑に落ちる気がします。

 

・自転車の五段切り換え春隣  野衾

 

鈴木重雄著『幽顯哲学』

 

敬愛するある方からおもしろい本を教えていただいた。
鈴木重雄さんという方の『幽顯哲学』。
著者も本も初めて知りました。
1940年発行ですから、
84年前。
読みながらこんなに線を引き、付箋を貼った本というのは珍しいかもしれません。

 

畑は初田であると考へる。
初田とは処女地を開墾して水田となす場合の中間階段をいふのである。
我が開国当初の開墾の目的は水田を主とし
陸田は附随的のものであつたことは深く論ずるまでもない。
国の造り初めを初国といふやうに
田の造り初めを初田といふのである。
初田は八田とも書き今日地名や姓に用ひられてゐる。
初田は約まつて「はた」となる。
大和の初瀬を約めて長谷はせといふ例の通りである。
初瀬は瀬の初め
といふ意で初田が田の初めといふと同じである。
次に働くの「らく」は開あらく顯あらくの「あ」の略された語である。
開墾は土地を開くことであるから
処女地より樹木雑草等を刈払ひ焼払ふて耕地への第一歩に入る
ことを初田開はつたあら
と称へたのであらう。
然るに上代にあつては処女地を開墾する第一歩の作業が凡ゆる人間労働中
最も顯著なる労働と認められ、
それがために初田開くといふ語が労働の代表表現となるに至つたものと考へる
のである。
西洋では耕作の意の語を文化の表現に用ふる
のに似てゐる。
(鈴木重雄『幽顯哲学』理想社出版部、1940年、pp.477-478)

 

「はたらく」について、以前、
はた(傍=そば、かたわら)に居るひとを楽にすることが本来の意味である、
みたいなことを読んだか、聞いたか、
したことがあり、
へ~、そうなんですか、
と思ったものの、
すこし時間がたってから落ち着いて考えてみ、
とくに理由は無いのですが、
正直なところ、
なんとなく、こじつけっぽく感じてしまったことがありました。
むかしからあることばを、
ただしく跡づけることは難しいのかもしれません。
上に引用した箇所も、
ここだけだと、ちょっと、
と感じないこともないのですが、
一冊丸ごとこの本から立ち上がってくるオーラとでもいったらいいのか、
それ込みで考えると腑に落ちます。

 

・空と吾を祓ふがごとく吹雪くかな  野衾

 

方言の味 3

 

父が割とつかうことばに「わっぱが」があります。
「わっぱが、でぎだ!」
というふうなつかい方をすることばで、
無明舎出版から出ている秋田県教育委員会編の『秋田のことば』に、
「仕事の量の割り当て、またその割り当てで働くこと」
との説明があります。
父が発する「わっぱが、でぎだ!」
は、
だれかから指示されたわけではなく、
じぶんで決めた、やらなければいけない仕事が終った、完成した、
そういうニュアンスを多分に含んでいるようです。
齢90を過ぎており、
歩行が困難になった母のこともありますので、
一日の暮らしのひとつひとつ、
ていねいに意志をもって、し遂げているかと想像します。
『秋田のことば』にはまた、
「「はかがゆく」「はかどる」の中にも痕跡のある語」との説明もあります。
ついでなので、
『広辞苑』で「はか」を調べてみた。
漢字で【計・量】と表記され、
①として、
「稲を植えたり刈ったり、また茅を刈る時などの範囲や量。
また、稲を植えた列と列との間をいう。
万葉集(10)秋の田の吾が苅りばかの過ぎぬれば」
との説明があります。
なるほど。
「はか」は、稲作に関連して、古くからあることばのようです。
わたしもときどき声にだして言ってみます。
「わっぱが、でぎだ!」

 

・きしきしと雪靴雪を踏む音かな  野衾

 

方言の味 2

 

このあいだ関東でもめずらしく雪が降り、足元を取られそうになりながら、
恐る恐るちょびちょび歩いて家まで帰りました。
翌朝、
ちょうど実家に電話をかける日だったので、
電話口に出た父に前日からその日の天気について話をしたあと、
ところで秋田のきょうの天気はどうだ、
と尋ねるや、
間髪を入れずに、
「まんどだ、まんど!!」
ん!? ああ、
まんど、か。まんど。なつかしい!
秋田のわたしの地方では、明るいことを「まんど」という。
「窓と関係あるのか?」
と父に尋ねると、
「わがらねでゃ」の返事。
「窓(まど)」自体は、ふるいことばで、
万葉集にも出てくる。
関係あるのかもしれないが、
いまのところ調べがついていない。
けさ、
実家に電話すると、
電話口の父は、開口一番「きょうもまんどだ、まんど!!」
意味としては「明るい」
だけれど、
「まんどだ、まんど!!」を耳にした瞬間、
光がまるで爆発しているかのごとく、生成の現出をともなった明るさであると、
からだは覚え、知っています。

 

・缶コーヒー両手でつつみ春を待つ  野衾

 

方言の味 1

 

帰省して楽しいことの一つに、ずっと、ふるさとのことばで話ができる、
それがあります。
帰省の最終日、
弟がクルマで秋田駅まで送ってくれたとき、
「えじくされ」ということばが話題になりました。
無明舎出版からでている秋田県教育委員会編の『秋田のことば』にも載っています。
『秋田のことば』に掲載されている表記では、
「えじくされ」の「え」と「じ」のあいだに小さい「ん」が入っています。
漢字で書けば「意地腐れ」。
『秋田のことば』では、
「他から見てあまり感心できない意地の張り方をする人を批判的にいう語」
と説明されている。
この辞書にもあるとおり、
けして人を褒めるときに使うことばではありません。
わたしにとっても弟にとっても、
ふだん使いのことばですから、
共通語でいうところの「意地っ張り」の基本的な意味はもちろん知っています。
しかし、
クルマのなかで、
家人も交え三人でひとしきり「えじくされ」で盛り上がったとき、
弟が、ふと、
「えじくされ」は、百パーセント否定的な、
マイナスの価値だけのことばではないと思うよ、
と語り始めました。
「七割三割ぐらいで、積極的な価値をふくんでいる」
それを、
共通語でなく秋田のことばで表現した。
わたしは、こころのなかで唸っていました。
まったくそのとおりと思ったからです。
意地が腐っているだけの意味ならば、
マイナスの価値に塗りこめられていることになりますが、
三割はプラスの価値を帯びている…。
要するに、
根性が座っていて、他からの批判や非難、叱責や暴力にも動じない、
揺るがぬ信念を持っている、
そういったニュアンスを確かにふくみ、
底のほうでむしろいぶし銀のように光っている、
それが「えじくされ」。
方言の味わいを改めて確認しました。

 

・六十年あつといふ間の雪解川  野衾