怒りがもたげると、怒りそのものが人格を持ち始めるようになり、
怒りの感情の母体である人間は、その奴隷のようになってしまいがちです。
そのことに関連して、セネカさんの上げる例は、
いろいろ考えさせられます。
グナエウス・ピソは、私の記憶する限り、悪徳には多く汚されなかった人である。
しかし、
ひねくれたところがあって、
冷酷さを心の強さと決めていた。
或るとき彼は、一兵士が戦友を伴わずに休暇から帰ってきたのを怒って処刑を命じた。
一緒に連れて帰らなかった戦友を殺したという嫌疑からであった。
兵士は戦友を探し出すため、しばしの猶予を願ったが、
ピソはその猶予を与えなかった。
有罪に決した兵士は保塁の外に連れ出されて、
まさに首を差し出そうとするところであった。
そのとき突然、
かの殺されたと見られていた戦友が現われた。
そこで、
処刑の指揮に当っていた百人隊長は、処刑吏に剣を納めるように命じ、
有罪の兵士をピソのところに連れ戻り、
兵士の無罪をピソに認めてもらおうとした。
兵士にはすでに幸運が生じていたからである。
そこで大勢の者たちが集まって来て、
陣営内が大喜びをしているなかを、
互いに固く腕を組み合っている二人の兵士に付き添って行くのであった。
ところがピソは火のように怒って壇上に立ち上がり、
この両兵士とも処刑することを命じたのである
――殺さなかった兵士も殺されなかった兵士も。
一体、これ以上に不当なことがあるだろうか。
一人の無罪が明白になったので二人とも殺されようとしている。
のみならず、
ピソは三人目をも付け加えた。
つまり、有罪の兵士を連れ戻ったとして、百人隊長までも処刑するように命じた。
あの同じ場所で三人が、
その一人の無罪の代償として三人とも死ぬことを決められたのだ。
ああ、
怒りは、その凶暴性の理由をでっち上げることが、
なんと上手であろうか。
怒りは言う、
「第一のお前は、すでに有罪を宣告されたから処刑を命ずる。
第二のお前は、戦友が有罪となった原因であったから処刑を命ずる。
第三のお前は、処刑の施行を命ぜられながら、命令者に服従しなかったから処刑を命ずる」
と。
どんな根拠も見付けられなかったので、
何とかして三つの罪を作りあげんとして考えだしたことであった。
(セネカ[著]茂手木元蔵[訳]『道徳論集』東海大学出版会、1989年、pp.141-142)
グナエウス・ピソさんは、ローマの名家出身の政治家で、
紀元後17年、ティベリウス帝によってシリアの総督に任命された人、とのこと。
・朝まだきキユルキユルゴウの春の風 野衾