鈴木重雄著『幽顯哲学』

 

敬愛するある方からおもしろい本を教えていただいた。
鈴木重雄さんという方の『幽顯哲学』。
著者も本も初めて知りました。
1940年発行ですから、
84年前。
読みながらこんなに線を引き、付箋を貼った本というのは珍しいかもしれません。

 

畑は初田であると考へる。
初田とは処女地を開墾して水田となす場合の中間階段をいふのである。
我が開国当初の開墾の目的は水田を主とし
陸田は附随的のものであつたことは深く論ずるまでもない。
国の造り初めを初国といふやうに
田の造り初めを初田といふのである。
初田は八田とも書き今日地名や姓に用ひられてゐる。
初田は約まつて「はた」となる。
大和の初瀬を約めて長谷はせといふ例の通りである。
初瀬は瀬の初め
といふ意で初田が田の初めといふと同じである。
次に働くの「らく」は開あらく顯あらくの「あ」の略された語である。
開墾は土地を開くことであるから
処女地より樹木雑草等を刈払ひ焼払ふて耕地への第一歩に入る
ことを初田開はつたあら
と称へたのであらう。
然るに上代にあつては処女地を開墾する第一歩の作業が凡ゆる人間労働中
最も顯著なる労働と認められ、
それがために初田開くといふ語が労働の代表表現となるに至つたものと考へる
のである。
西洋では耕作の意の語を文化の表現に用ふる
のに似てゐる。
(鈴木重雄『幽顯哲学』理想社出版部、1940年、pp.477-478)

 

「はたらく」について、以前、
はた(傍=そば、かたわら)に居るひとを楽にすることが本来の意味である、
みたいなことを読んだか、聞いたか、
したことがあり、
へ~、そうなんですか、
と思ったものの、
すこし時間がたってから落ち着いて考えてみ、
とくに理由は無いのですが、
正直なところ、
なんとなく、こじつけっぽく感じてしまったことがありました。
むかしからあることばを、
ただしく跡づけることは難しいのかもしれません。
上に引用した箇所も、
ここだけだと、ちょっと、
と感じないこともないのですが、
一冊丸ごとこの本から立ち上がってくるオーラとでもいったらいいのか、
それ込みで考えると腑に落ちます。

 

・空と吾を祓ふがごとく吹雪くかな  野衾