ちょっとした言葉に傷ついたり、
誤解が生じて、
コミュニケーションがうまくいかなくなったりすることがある、
という前フリで、
いま話題になっている本の著者がテレビにでていました。
脚の三里に灸を据えながら、
しばらくふんふん、
と頷きつつ見ていたのですが、
え!? そうかなぁ。
それはちがうと思うなぁ、
と感じるコメントがあったり。
いくつかの例題のなかに、
「おなじ話を聴いたときに、そのことを指摘するか」
があり、
相手を傷つけないように、
言葉をえらんでやんわり指摘することを本の著者は推奨しているようでした。
そのとき、
コメンテーターとしてでていたヒロミさんが、
「おれは、いままで一度も指摘したことないなぁ」
と言いました。
ヒロミさんの対応は、
いまのわたしの対応とおなじもの。
ヒロミさんとちがうのは、
わたしの場合はこのごろということで。
以前は、
相手の気持ちを慮ってタイミングをみながら指摘していたと思います。
いつの間にか、それをしなくなりました。
ひとつには、
じぶんがおそらくおなじ話をするようになったから。
なぜそれが分かるかといえば、
相手に指摘されなくても、
それと気づくことがあるからです。
やがて相手に指摘されなければ、
自分で気づくことは無くなるでしょう。
ふたつ目の理由は、
「この話、前にも聴いたな」
と思いつつ、
だまって聴いていると、
微妙にニュアンスが違っていたり、
くり返しのなかから派生する話が初めてだったりするものですから、
「あ、おなじ話だ」と思った瞬間、
そのあとの展開が楽しみになったので。
たとえて言うなら、
即興演奏を肝とするジャズを聴いているときにちょっと近いか。
天才的サックス奏者といわれたソニー・ロリンズの、
どのアルバムだったか忘れましたが、
演奏の途中、
ぷぷッ、ぷぷッ、ぷぷッ、ぷぷッ、
の音が何度もくり返され、
いかにも次の展開のアイディアが浮かばないと感じられた、
と思いきや、
つぎの瞬間、
いきなり激しいブローにうつる場面があります。
くり返しの話は、
ジャズの即興演奏の前の慣らしのアイドリングみたいなもの、
とも感じられます。
って、
ここまで書いてきて、
ふと気が付いた。
細部はともかく、
この話って、まえにここに書かなかったか。
・吾の先をリレーしてゆく虫の声 野衾