イエス・キリストのこと

 

以下の文章は、ある本からの引用です。

 

我々はイエス・キリストをどのようなお方と考えたらよいのだろうか。
それが最大の問題であって、
証拠を全体として捉えて初めて正しい解決が得られる。
西暦一世紀に、
人間の子供たちの中で他に比類のないお方がこの地上を歩かれたことは、
まじめな歴史家なら否定できない歴史上の事実である。
情報源をすべて消去しても、
神秘的な人物、パウロ書簡で証言されている人物、
福音書の中で生き生きと、自明力をもって我々の前を歩まれる人物、
キリスト教会建設の基礎となられた人物がなおも残る。
彼を人間的な尺度で説明しようとする努力、
彼を世界のどこか他の場所で作用している力の産物として説明しようとする努力が、
数多くなされた。
そのような説明は、
証拠を一つ一つペダンティックに扱う人を満足させるかもしれないが、
全体的視野を見渡せる人を満足させることは決してないであろう。
罪の暗い背景の前で神の光に照らしてイエスを見るならば、
また人間の最も内奥の必要を満たす者として、
また偉大な栄光と紛れもない真理へ導くことができる唯一の人物として見るならば、
種々の議論があるにもかかわらず、
新約聖書が真実であり、
神がこの地球の上を歩まれ、
また我々を愛されるがゆえに、
永遠の御子がこの世に来られて我々の罪をあがなうために十字架上の死を遂げられた
という驚くべき確信を持つようになるであろう。
そのような確信に達したとき、
処女と御子の物語に対する見方が、これまでと大いに変わってくるだろう。
不思議なことに反発を感じることはもはやなくなり、
むしろ、
「そのような誕生は、他のすべての人々と異なったこのお方にふさわしいことであった」
と言うであろう。
(J・グレサム・メイチェン[著]村田稔雄[訳]『キリストの処女降誕』
いのちのことば社、1996年、pp.372-3)

 

高校の教員をしていた頃のことですから、
二十代の終りの夏に、
わたしにとって初めてとなるインドを訪れました。
のちにブッダとなったゴータマ・シッダールタゆかりの地
(だけではありませんでしたが)
を歩き、
そうしているうちに、
たしかに、
そういう人がここの地を歩いていたんだなと感得されました。
ブッダガヤでは、さんさんと注がれる陽光のもと、
サリーをまとった女性がうつむき加減に、
一歩一歩、
足裏で数を算えるようにして大地を踏みしめていました。
忘れられない光景です。
そのとき、ふと思いました。
ひるがえって、
十代の終りから読んできた聖書に記されたイエス・キリストはどうか。
イスラエルを訪ねたら、
おなじような感懐をもつことができるだろうか。
なんとなくですが、
おそらくそういうことは無いのではないか、
ブッダガヤを歩きながら、そんなふうに感じました。
その後、イスラエルを訪ねたことはなく、
今後も無いとは思いますけれど、
あのときの感覚は、
いまにつながっていて、
それがあるものですから、真理を得たくて聖書を読みます。
いわば、聖書が大地です。
それは小学四年生の理科教室まで遡ります。

 

・ゆうるりと空から一つ枯葉かな  野衾