子供のころ、外をぼうっと眺めていて、祖母に注意されたことが何度かあります。
ぼうっと何かに見とれているうちに、
気が触れてしまうと祖母は思ったかもしれません。
田舎のことですから、
そういう言い伝えがあったのかもしれず。
柳田國男の『故郷七十年』に、
それに似たエピソードが紹介されていて、
驚いたことがありました。
ともかく、
そういう癖も、
三つ子の魂百までのことわざどおりで、
いまとなっては、
だれも注意してくれるひとがありませんから、
以前にも増して、ただ、ぼうっと眺めているようです。
じぶんでそのことに気づくのは、
風景が動くから。
ぼうっと、また、じっと眺めている風景の画のどこか一点がほんの少しだけ動く、ズレる。
それでハッと我に返る。
うごいたものに眼をやると、
そこにいのちを宿したものが蠢いている。
枯れ落ちる一葉であることもあるけれど。
急ぐなよ。
先だって、
外出した折、坂の途中でしばし立ち止まりました。
風が気持ちいいのでそうしたのでしょう。
立ち止まった動機が今いち思い出せません。
どれぐらいの時間そうしていたのか。
と、
風景がうごいた気がした。
見ると、
樹上に赤茶けた、細く、長い蛇が、頭をもたげていた。
幹でなく、枝と葉にくねる体を絡ませて。
崖に生えている樹ですから、
坂の上からよく見えます。
こんな大きな樹の上までよくぞ這い上がったな。
とおくジオラマの風景のなかを横須賀線下り電車がすべっていった。
またぼうっとしていたようです。
・夢かとぞ問ふひともなし虫の声 野衾