偉大な使徒が語った「だれをもそしらず」〔テトスへの手紙3章2節〕
という言葉は、
「殺してはならない」〔出エジプト記20章13節〕という言葉
と同じように明白な命令です。
しかし、
キリスト者の間であってもいったいだれがこの命令を尊重しているでしょうか。
この命令を本当に理解する人が何とわずかしかいないのでしょうか。
そしることは、
ある人が考えるように、噓をついたり中傷するのと同じです。
その人が語ることが聖書と同じように真実であっても、
それが悪口になるときもあるのです。
というのは、
そしることはそこに存在しない人の悪口を言うことだからです。
例えば、
ある人が酔って、ある人を呪い、悪口を言うとします。
特に、その人がいないときにそれを語るとします。
それがそしることになるのです。
それはまた、「陰口」を言うことでもあります。
このことは、
私たちが人の「悪評」を言いふらすことと同じことです。
たとえその悪評が優しく、穏やかな形でなされるとしてもです。
(その人に対して善意があり、事柄が悪くならないという希望を持ちつつ話されるにしても)
私たちは、それを「内緒話」と言うこともできるでしょう。
どのような作法でこれがなされるのであれ同じです。
状況がどのようであるかが問題なのではなく、
本質が大切なのです。
これは悪口です。
第三者がいないときに、その人の過ちを語るときには
「だれをもそしらず」ということが大切なのです。
(A.ルシー[編]坂本誠[訳]『心を新たに ウェスレーによる一日一章』
教文館、2012年、p.306)
ヤフーニュースを見ていましたら、
藤田ニコルさんのことが紹介されていました。
それによりますと、
昨年8月に公開された動画のなかで、
日々心がけていることについてコメントしたそうです。
九つ目の質問が「守ってきたこと」。
藤田さんはそれに応えて、
「人の悪口を言わないこと」
を挙げ、
「人の悪口、あんま言わないんで。最近思う、マジでウチ(悪口を)言わない。
人が悪口を言っていてもあんまり乗りたくないです」
と語ったそうです。
わたしはその動画を見ていませんが、
そういうことを心がけている藤田さんがステキだと思います。
いま読んでいる本に「悪口」にかんする文章がありました。
書名にあるウェスレーは、
ジョン・ウェスレー(John Wesley、1703-91)。
18世紀のイングランド国教会の司祭で、
メソジスト運動という信仰覚醒運動を指導した人物として知られています。
・しんしんと人間遠く虫すだく 野衾