今の学者は

 

京都大学学術出版会の鈴木哲也さんの本で知ったことばに、
「journal-driven research」
があります。
「学術誌駆動型研究」ということですが、
自身の興味関心(それはもちろんあるにしても)
というよりは、
なにをすれば学術専門誌に掲載されやすいかを大きな動機としてなされる研究、
そんな意味のようです。
そういう傾向がこのごろ増していることを併せて知りました。
さてとつぜんですが、
論語「憲問」に、
「子曰、古之學者爲己、今之學者爲人」
のことばが出てきます。
「子曰く、古《いにしえ》の学ぶ者は己《おのれ》の為にし、
今の学ぶ者は人の為にす」
これは、
むかしの学ぶ者(学者を含め)は自分の利益を考え利己的に勉強したが、
いまの学ぶ者(学者を含め)は人さまの利益を考え、
人さまのことを思って利他的に勉強する、という意味
ではなくて、
むしろ真逆にちかく、
むかしの学ぶ者は自身の修養を目的として学問をしたが、
いまの学ぶ者は世間の評判を問題にし、それを気にして学問をする、
そういう意味になります。
「journal-driven research」(「学術誌駆動型研究」)
を論語に照らし合わせると、
専門誌に掲載されること=世間の評判、
とは一概に言えないにしても、
「今之學者爲人」
ということばが持つ内実に深いところで重なる気がします。

 

・紫陽花や古民家の庭うへは空  野衾