中正を得るには

 

世の中には少しく行き過ぎるやうにすることが都合が好い場合が少からずある。
或る物が一方に傾いて居るのを矯め正して、
中正なる情態にしようとするには、
他の一方に少し行き過ぎるところまで持つて行かうとするので
正しくなるのである。
中正なる處まで持つて行かうとするのでは、
中正にはならぬ。
他の一方に少し行き過ぎるやうにしようとするので、
中正になる。
(公田連太郎[著]『易經講話 五』明徳出版社、一九五八年、p.684)

 

公田連太郎『易經講話』の最終巻最終章「雜卦傳」の「小過は過ぐるなり」
についての公田さんの解説文。
これなどは、
易のおもしろさがとてもよく表れていると思います。
論語に
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
のことばがあり、
つとに人口に膾炙していますが、
それと併せ読むことで、
いっそうの味わいが感じられそうです。
こつこつ読んできた易ですが、
ここに、
ギリシア哲学ともキリスト教とも異なる東洋の知恵と世界観
が織り込まれ、
表現されている気がします。

 

・あらはれて高みへ光り夏の蝶  野衾