「悪の陳腐さ」について

 

行為が悪いほど、それだけ動機も邪《ルビ=よこし》まになる。
アーレントが批判するのは、この信念である。
怪物でも変質者でもサディストでもなく、
イデオロギーの狂信者でもない個人、
出世をして優越感を感じたいというささやかな野望と欲望
に動機づけられている個人が――全体主義の状況に置かれると――
もっとも恐るべき悪行を犯しうるのである。
歴史的状況と社会が異なれば、
アイヒマンは人畜無害の小役人だったかもしれない。
あるいは別な言い方をすれば、
もっとも世俗的な欲望に動機づけられたまったく平凡な人間が
――異常な状況に置かれれば――
怪物的な行為を犯しうるのである。
現代の官僚制の諸条件に関してかくも恐ろしいのは、
これらの条件がこの種の悪を犯す潜在性を増大させていることである。
アーレントは全体主義体制の終焉後も根源悪の可能性が生き続けていると主張するが、
同じことが悪の陳腐さにも当てはまる。
(リチャード・J.バーンスタイン[著]/
阿部ふく子、後藤正英、齋藤直樹、菅原潤、田口茂[訳]
『根源悪の系譜 カントからアーレントまで』法政大学出版局、2013年、pp.367-368)

 

弊社から刊行したヘレン・M・ガンターの
教育のリーダーシップとハンナ・アーレント』について、
訳者三名の先生方と座談会を行った際、
生澤繁樹さんがバーンスタインの『根源悪の系譜 カントからアーレントまで』
を取り上げお話をしてくださいました。
その話がおもしろく、また忘れられないので、
さっそく翻訳書を求めてこの休み期間中にさっそく読んでみました。
引用したのは、その結論部分に書かれていたことです。
このごろの政治状況、社会状況を考えれば、
『教育のリーダーシップ~』と併せ読むべき本だと感じます。

弊社は本日より通常営業です。
よろしくお願いいたします。

 

・おぼろ月とんがり屋根の上の上  野衾