ほんのわずかなことの積み重ねが、年月を経るうちに思いがけない結果をもたらすことがある。
ピリオドやコンマという書記法の考案が黙読の普及につながり、
それはやがて読者の意識に変化をもたらし、
時代の変革にまでつながったというのも、そうした事例のひとつといえるだろう。
前述のように、
古代のラテン語は句読点も単語間の切れ目もなしにびっしりと記されていて、
一字ずつ指先でたどるように分節しながら発音することで、
かろうじて読み進めるほかはなかった。
こうした苦労は句読点の考案によって軽減されたが、
何よりも画期的だったのは、単語間にスペースを置く分かち書きの採用であった。
分かち書きは七世紀にアイルランドで考案された。……
(鶴ヶ谷真一『記憶の箱舟 または読書の変容』白水社、2019年、p.126)
ピリオドもコンマもなくアルファベットがだらだら続いていたと思うと、
想像するだけでなんだかめまいがしてくるようです。
しかしそんな時代がそうとう長くあったなんて。
知らなかった。
それが事実なら、
鶴ヶ谷さんが書いているように、
読書は黙読には適さない。
適さないというよりおそらく無理なのでは。
意味がまったくあたまに入ってこないでしょうから。
ひつぜん文字を指でなぞり、
単語をひとつひとつ区切りながら音読するしかありません。
とうぜん孤独な黙読とはちがった様相を帯びます。
また単語と単語のあいだにスペースを置くなんて、
ごく当たり前のようだけど、
考えてみればそれは大きな発明で、
ひとり読書だけでなく
当時の社会や文化に多大な影響を与えていったというのも宜なるかな。
「沈黙に守られたひとりだけの世界がひらかれたいま、
内なる光がやがて訪れるルネサンスと宗教改革をもたらすことになる」(同、p.128)
・半島のひかりとろりや九月尽 野衾