雑誌の読み方

 

どのジャンルにかかわらず、
いわゆる雑誌というものをわたしはあまり買いません。
定期で購読しているものもありません。
が、
たまには買いません。
(失礼! せん、せん、て書いてたら、つい手がすべってしまいました)
いや、
たまには買います。
敬愛する佐々木幹郎さんが特集されているというので、
あまり買ったことのない『現代詩手帖』
の10月号を買いました。
たまに買う雑誌はわたしにとりまして
ひじょうに貴重なもので、
なんども
というのでなく、
なんじゅうどもパラパラ開いて読むことになります。
これがとっても楽しい。
かつてオーディオの雑誌をめくっていたとき、
靴の雑誌をめくっていたとき、
ロック、ジャズの雑誌をめくっていたとき、
あれは至福の時間でした。
そういう雑誌にめぐりあうのはうれしいことです。
さて『現代詩手帖』
もうなんども開きました。
幹郎さんのことを、
幹郎さんの詩をいろんなひとがいろいろに論じています。
ああそういうところあるかもね、
え、そうなの!
そうかな?
なんだか愉しくなってきます。
さて。
詩人の三角みづ紀さんの「山小屋の娘から、山小屋の父への手紙」
ページをひらいて、
ひらがなと漢字のバランスも良く、
改行も適度で、
すっとさそわれるまま読んでいきます。
ふんふん、なるほど、そうか、
なるほど、
そうだろうなぁ、
ふんふん、
ん!
ん!?
思わず、あはははは…

 

焚き火を見つめながら「わたしは幹郎さんみたいなお父さんが欲しかったです」
と言ったら、
幹郎さんは煙草を吸いながら笑っていた。
それから、どこか遠くを見ていた。
詩人は遠くを見るものだということも、山小屋で学んだ。
小詩人のわたしが佐々木幹郎という詩人に追いつけるまでどのくらいかかるのだろう。
(p.73、改行はわたしが勝手にしたもので、元はふつうにつづく文章です)
このあとの六行がまたしみじみとした、いい文章です。

 

おふたりのそのときの空気感までつたわってくるようで、
なんともたのしく、
だからよけいに愉快な気分にひたった。
照れ屋の幹郎さん、
煙草を吸った郎なぁ、
笑うしかなかった郎なぁ、
だまって、遠くを見るしかなかった郎なぁ…。
ということで、
このあとなんどとなく、
なんじゅうどでも開いてみることになりそうです。

 

・秋うらら烏電線揺らしをり  野衾