不思議のご縁

 

・雨しきり桜絨毯招きをり

十文字学園女子大学の横須賀薫学長から
『学園創設の理念をめぐる一考察』という冊子が送られてきた。
同大学人間生活学部紀要第12巻別刷とある。
一年ほど前になろうか、
あるいは一年半ほど前のこと、
新企画『おうすいポケット 新井奥邃語録抄』の準備のために
『新井奥邃著作集』を読み返していて、
ある重大なことに気がつき、
それを横須賀学長にお伝えした。
学長はそのことを了とせられ、
興味を持ってくださり、
論考をいずれ何らかの形で
発表しようとの意向を示された。
それが形を成し、
今回の『一考察』となった。
論考の中に、
「謙和舎と大和会(たいかかい)の関係者の間には『奥邃語録』など印刷物が保管され、伝えられてきたが、それらが近時新井奥邃先生記念会の手によって系統立てられ、その成果が林竹二の影響を受け、かつ出版業に就いた三浦衛の手によって『新井奥邃著作集』全9巻、別巻1となって世に出されることになる」
とある。
わたしと林竹二の関係について触れている学長ご本人は、
1969年に宮城教育大学の教員として林竹二に会っている。
林は、田中正造研究の途次で新井奥邃を発見し、
新井奥邃研究を一書にまとめることを祈念したが叶わなかった。
横須賀先生はただ今、
十文字学園女子大学の学長をしておられるが、
学園の創立者である十文字ことの夫・十文字大元は
大和会の初期の会員であった。
ということは、
十文字大元をとおして、
新井奥邃の精神の息吹きが学園に流れ込んでいる可能性は高い。
十文字学園は二〇二二年に創立百周年を迎える。
創立の年の六月に奥邃が亡くなった。
林竹二を機縁とし、
新井奥邃と出会い、
それが今回のように
見えない糸でつながっていたことを目の当たりにすると、
ご縁の不思議、
人生の妙に打たれずにはいられない。

橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の九回目が掲載されました。
コチラです。

・樹のピンク薄れ薄れて日を迎ふ  野衾

思いつづける

 

・うたげ終え務め果しし桜かな

『石巻かほく』紙連載の
「橋本照嵩の紙上写真展」に併載する文章の仕事を賜り、
たのしく苦しく勉強している。
強いて勉める勉強は
やはり苦しく、
苦しさを通じて
体得するところあってのたのしさであることは、
子ども時分から同じであるなぁと。
一枚か二枚の写真に添え、
三〇〇~四〇〇字の文を書く。
写真集『石巻』は、
会社と自宅に置いてあるから、
見ようと思えばいつでも見られる。
しかし、
評価はともかく、
写真と対峙する文章を書きたいと願って視るとなると、
ただごとでは済まされない。
わたしは写真家ではないし、
石巻の人でもない。
いわばよそ者だ。
よそ者に徹して、
それでも一枚か二枚の写真を凝視し、
凝視し、
なおも凝視し、
(橋本さんの写真が凝視を誘い凝視に堪えるは言うに及ばず)
それでもなんも出んこともあり、
一週間、
脳裏や瞼や胸に記憶された写真を思い、
思いつづけ、
歩くときも、
電車に乗っているときも、
食事をしているときも、
歯を磨きながらでも、
とにかくなりふり構わず思い、思いつづける。
この思いつづけることが、
いわばわたしの愛情です。

・一夜雨まぶたに浮かぶ桜あり  野衾

半世紀

 

・樹を離れ子らの掌に落つ桜かな

田中優子さんも通ったという、
横浜市立本町小学校は、
きのうが入学式のようでした。
若いお母さんやお父さんに連れられ、
きれいな紺の制服を着た子どもたちが歩いています。
半世紀前、
わたしもそうして田舎の小学校に入学しました。
母は二十九歳。
若!
手元に写真がなく
心もとないのですが、
たしか母は和服を着ていたような。
親と子と担任の伊藤陽子先生が
いっしょに写った全体写真は、
秋田の実家のどこかにまだあるでしょう。
あれから五十年、
寅さんじゃないけれど、
後悔と反省の日々でもあるなぁ。
旅に出て旅の途中の春の風か。

『鎌倉三猫物語』の著者ソーントン不破直子さんの
インタビュー記事が
神奈川新聞に掲載されました。
コチラです。

・子らよりも母華やぎて入学す  野衾

葛飾柴又

 

・柴又や寅さん像の寂しかり

寅さん好きとしていつか訪ねたいと思っていた
葛飾柴又へ行ってまいりました。
柴又駅に降り立つと、
緑のベストを身にまとった初老の男性が寄ってきて、
「もし、よろしければガイドしますが…」
聞けば、
ボランティアで、
寅さんゆかりの場所を案内してくださるという。
願ったり叶ったり。
花曇り、
ときどきぱらぱら雨も落ちる
肌寒い天気が
むしろ幸いして、
人の出足が鈍く、
おかげさまで、
その分ゆっくり散策できました。
矢切の渡しはさすがに寒く、
舟には乗りませんでしたが、
土手に立てば、
はるか向こうから
格子縞の背広を羽織った寅さんが、
肩を揺らしてこちらへ歩いてくる姿が想像されます。
また、
帝釈天で産湯を使いのあの帝釈天、
その帝釈堂内陣の外側には、
法華経から選んだ説話をモチーフに、
十枚の胴羽目彫刻が施されており、
ただいま『法華経諺解』の編集に当たっている
わたしとしては、
これも一つのご縁であるかと、
感慨を深くした次第。
春風社のロゴを作ってくれた畏友長野亮之介の
「雨ニモ負ケズ」鼻曲がり鮭Tシャツが
境内で売られていたのにもビックリ!
店の人にも、
ガイドさんにも、
「これ描いたの、ぼくの友人です」と自慢。
長野さんにもしばらく会ってないなあ。

・花ちるや帝釈天の鐘をきく  野衾

土入れ

 

・吹き飛べとガリリとガヂる島らっきょう

朝に電話すると、
いつもなら母がでるところ
父がでて、
今日はダシに土を入れる日で、
正紀やトッコやトッコのだんなも来ることになっているという。
昨日のことだ。
父の声は、
どことなく弾んで、
水飴のような方言臭は微塵も感じられず。
むしろどっぷりと隙なく厚みがあり。
方言はまた、
活着のいいことばなのだ。
んだてが。
んだよ。
標準語共通語と驕るなよ。
百姓の魂に火が着き、
いよいよエンジンが発動する。

橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の八回目が掲載されました。
コチラです。

・花吹雪子ら校庭に球を追ふ  野衾

詩のレッスン

 

・病院へ行く途よこの花ぐもり

そういうタイトルの本で、
副題は「現代詩一〇〇人・21世紀への言葉の冒険」
入沢康夫、三木卓、井坂洋子、平出隆、
四人の編者が順に好きな(?)
詩を選び解説を加えている。
一九九二年新年からほぼ二年間
『週刊ポスト』誌に連載されたものを
一冊にまとめてあり、
読みやすく、分かりやすく、
勉強になります。
取り上げられた詩が
必ずしも分かりやすい訳ではありませんが。
巻末には、
詩人一〇〇人の写真つき略歴まで収録されており、
これまた便利。
詩とあわせると、
へ~、
この顔の人がこの詩かと
感慨も一入。
敬愛する佐々木幹郎さんは、
清清しくさっぱりしていてカッコいい!
面白いのは、
解説が見開き二ページで先にあり、
ページをひらくと詩が出てくるという順番。
ふつう逆ではと思うのですが、
レッスンなのでこの順か。
「語りえないもの」の造形という題で
入沢康夫は、
安東次男の「樹木開化」という詩も取り上げています。
副題は「髪をえがけ!――桂川寛に」
ん!
桂川寛に…。
装丁家・桂川潤さんのご父君だ。
「樹木開化」が入っている安東の詩集『蘭』の表紙、挿絵は、
桂川寛さんの作品です。

・花ぐもり花の下なる人静か  野衾

カップル

 

・切なりし恋も怒りも四月馬鹿

おととい五七年生まれを含む知人たちと飲んだせいか、
きのうは仕事帰り相当疲れておりました。
同じ五七年生まれでも、
彼は昭和五七年生まれだし、
わたしは一九五七生まれ、
四半世紀の時間の差は大きい。
横浜駅での乗り換えの際、
エスカレーターを降り、
複雑に流れる人ごみをかいくぐりかいくぐり
前方目指して進んでいたら、
前を恋人同士でもあるのか、
若いカップルが歩いていました。
後ろから見ただけですが、
身に着けているものから判断し、そうだったでしょう。
ぴったり身を寄り添わせ歩いていた。
右が男性、左が女性。
サファリルックの男性は、
左腕を彼女の腰に当てているのですが、
彼女の腰を包むようではない。
なぜならば、
彼女の後姿というものは、
フナッシーそっくりだから。
胴回りは優に一メートルは超えている。
色は違えど体の輪郭たるやまさにフナッシー!
サファリルックがフナッシー似の彼女の耳元でなにやら囁いたらしい。
さらに、
フナッシーの腰に当てていた左腕をほどき、
左肘でフナッシーのわき腹辺りを
クイッとやった。
フナッシーびくともせず。
と、
今度はフナッシーが右肘でクイッとやった。
ら、
サファリルック、吹っ飛んだ。
吹っ飛んだ、は大げさか。
飛んだ。
その光景を目の当たりにし、
わたしの疲れはこれは吹っ飛んだ。

・骸骨や夢まぼろしの四月馬鹿  野衾