ニンニク爺

 

・この川は俺の川だと青大将

仕事の帰り、
本町小学校の横を歩いていたときのこと、
赤銅色の顔をテカテカさせながら、
ニッカボッカを穿いた
頑健そうな老人とすれちがう。
瞬間、
強烈なニンニクの臭いが
ぷわわ~~ん!!
ぷわわ~~ん!!
もうひとつ。
ぷわわ~~ん!!
ニンニクそのものの臭いなら
まだ許せる。
ニッカボッカを穿いた頑健そうな老人は、
仕事を終え、
おそらくビールか焼酎か菊水ふなぐちでも飲みながら
大量のニンニクを食ったのだろう、
アルコールとニンニクと老人の肉体が有機的に化合され、
えもいわれぬ、
この世のものとも思われない
悪臭を発生させた、
ものと思われる。
わたしはもともと匂い臭いに敏感なのだ。
あまりの悪臭に、
わたくし、
しばしその場にうずくまる。
うっうっうっ、
と、
うずくまりながら顔を上げると、
ニンニク爺は
何事もなかったかのごとく
(ニンニク爺にしてみれば、何事もなかったわけだが…)
振り向きもせず、
階段をゆっくり上っていった。

橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の十六回目が掲載されました。
コチラです。

・出勤時蛇と戯れ遅刻せり  野衾

老人意識

 

・煙り立つ焼き玉葱の香りかな

齢のせいにしたくはありませんが、
やっぱり齢のせいなのでしょう。
仕事でもプライベートでも、
なにかにミスが多くなり、
自分でしたことなのに、
しょうがないなぁ
と情けなくなったり、
憤ったり。
それと。
このごろ手と足がよくすべる。
指紋が薄れ、
皮が硬くなっているのかもしれません。
行動をすべてゆっくり目にし、
怪我を惹起せぬよう
注意はしているものの、
思わぬところに危険は潜んでいて
ハッとすることも少なくありません。
夜中、小用に立ち、
寝ぼけまなこで戻ってきて布団に横になろうとしたとき、
足がすべって体ごとドッと倒れヒヤッとした。
倒れる瞬間、
右手をサッとつき体を支え、
大事には至らなかったものの、
手のつき方を誤っていれば、
骨折した可能性もあり、
闇の中で
ジッと天井を眺めておりました。

・針山の如き中より仙人掌の花  野衾

ぷらぷらと

 

・老人も児らも緑の眩しかり

自宅から会社まで、
会社から自宅まで、
電車の乗り換えもありますが、
ドアツードアで四十分あれば確実に着きます。
が、
このごろは、
往きも帰りも、
一時間ほどかかっています。
ぷらぷら歩いてケータイで写真を撮り、
ぷらぷら歩いてケータイで写真を撮りして
撮った写真を、
この日記の下に載せているわけです。
ゆっくり歩くと
毎日の道なのに、
いろいろ変化に富んでいて、
目を楽しませてくれます。
わたしは花の名前にとんと疎いのですが、
匂いと臭いに割りと敏感で、
ふわっと匂ったり、
おえっと臭ったりしてくると、
きょろきょろ見回し、
ああこれかあと立ち止まります。
下の写真はちがいますが、
ジャスミンなるものも、
匂いが先に来、
へ~、この白い花か
と鼻を近づけてみたり。

・仙人掌の花旭日に匂ひけり  野衾

詩は短い

 

・耳にショパン五月の花が咲いている

源氏物語とか失われた時を求めてとか、
とにかく長いものを時間かけ、
どっぷりと
その世界に浸って読むのが好きでしたし、
今も、
嫌いではないのですが、
だんだんと
長いものを読むのがつらくなってきました。
そこへいくと、
詩はなんといっても短い。
長詩たって、
高が知れています。
短いのに味が濃い。
さらっと薄味で印象深いのもあり。
それと、
短くても、
詩には発見があって、
それがあったから
詩ができたのかもしれませんが、
読むほうも、
それにふれてなんだか楽しくなります。
耳が貝殻に似ていたり、
蟻が運ぶ蝶の羽がヨットに似ていたり
することを見つけたことが
詩作を駆動させたのでしょう。

今月三日に亡くなられた詩人の長田弘さん
を追悼する拙文が神奈川新聞に掲載されました。
コチラです。

・日を継いで緑かわ脱ぐ光かな  野衾

ミズタタキ

 

・真昼より友と酒飲む五月かな

秋田の山菜料理ミズタタキが食べたいと思って、
この日記の過去ログを検索したら、
ありました。
二〇〇九年六月三〇日と
二〇一一年六月二八日。
そうか。
六月であったか。
ひとつきズレていました。
ミズタタキのミズは、
ほんとうはウワバミソウ。
大蛇が居そうなところに生えている
ことからの命名だそう。
それなら、
なぜミズかといえば、
水辺や湿地に自生することが多く、
水にちなんでミズ。
あまりに直接的な名付けではあります。
山椒を利かしたミズタタキ、
想像するだにヨダレがでてきます。
あの味、
ああ、こでらえね!

橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の十五回目が掲載されました。
コチラです。

・五月詠む集いし友の句会かな  野衾

自虐ネタ

 

・朝ぼらけ五月のけふの始めなり

秋田魁新報に「きょうの言葉」というコラムがあります。
金言のような短いことばを取り上げ、
識者が解説を加えるというコーナーですが、
今月十九日付けの紙面に、
ソフトバンク創業者孫正義の言葉として、
「髪の毛が後退しているのではない。私が前進しているのである。」
が取り上げられていました。
ことば自体は、
クスッと笑える類のものですが、
このコーナーに取り上げられると、
格段に面白くなる。
だって
「きょうの言葉」というからには、
なんというか、
人生というか、
重い荷物を背負って坂道というか、
人間てぇものは、
みたいな、
ありがたい御ことばを期待するわけです。
そこへもってきて
上のことばなんですもの。
髪の毛の話なのに、
人生の教訓を含んでいるようで、
しかもなんだか語調が立派。
「~のではない。~のである」と。
このことばを取り上げたのは、
小説家の阿川大樹。
名前がまた立派。
大樹。
この樹なんの樹、大きな樹、てか。
このコーナーにふさわしい。
解説の後半、
「オフィスで、家庭で、居酒屋で、髪の量が話題になったとき、
「髪が後退しているんじゃなくて、僕が前進してるんだ」
という人が続出したら……と想像してみたら、思わずニンマリとしてしまう。
そうなれば、広い額が世の中を照らす時代がやってくるはずだ。」
アハハハハ…。
来ない来ない。
そんな時代、来るはずない。
教訓めかして言っているところがなんとも可笑しい。
ところで。
わたしの場合はどうか。
後退も前進もしない。
なぜならば、
わたしの頭はだいたい更地だから。
アハハハハ…。

・道草を愛でて時追ふ五月かな  野衾

党首討論

 

・梅雨前の日いつくしみ吸ひにけり

民主党の岡田代表と安倍首相のやりとりの
全部を見ていたわけでなく、
一部を
テレビのニュースで見ましたが、
岡田代表の分かりやすい言葉にくらべると、
首相のことばは
言葉数は多いけれど、
何を言っているのか分かりにくく、
質問に対し、
ふつうの意味で
答えになっていないだろうと感じることしきり。
芸といえばひとつの芸。
目の前で
質問を突きつけられているのに、
そのことに答えるような
姿勢はとっているけれど、
微妙に論点をずらし
立て板に水のごとく、
いかにも
誠意をもって答えている
かのようなポーズを見るにつけ、
今に始まったことではないけれど、
改めて、
この人の言語感覚を疑いました。
ますますひどくなっているようです。
大学に勤めているある先生が、
やがて自由にモノが言えなくなる時代が来る、
とおっしゃっていましたが、
安倍首相の
本心を隠すためとしか思えない
ゴテゴテした
無駄なおしゃべりを聞くにつけ、
空恐ろしくなりました。

・珈琲香きのふの朝の在りどころ  野衾

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