・鶯や保土ヶ谷宿の夢見たり
きのうにひきつづき、
インタビューをまとめるについて。
小野寺先生のお話のなかに、
「勘」のことがでてきます。
勘が鋭いとか、
勘がはたらくの、あの勘。
先生は、
カトリックの信仰と
西田幾多郎の哲学の結節点を求めることを
生涯のテーマとしてこられましたが、
そのような難しげな学問と
勘というのは、
いかにも結びつかないようにも思えますが、
先生がおっしゃるには、
ご自身にとって
大事な問題をつかまえるのは、
これすべて勘なのだと。
勘は経験の結晶であるとも。
経験は決して相対的なものではなく、
経験には経験の論理があって…。
ははあと、
ゲラを食みながら納得。
西田いうところの純粋経験、
「内在的超越のキリスト」への関心等々、
ふるさと岩手の風土から醸された思想であると感じます。
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橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の十回目が掲載されました。
コチラです。
・鶯や街道沿いの松を見ゆ 野衾