周回遅れ

 

・ウグイスやウグイスのこゑ上手なり

歴史変動のきっかけがだれにも気づかれずに蒔かれ、
後になって歴史家がそれと指摘する、
みたいなことが
個人にもあるようで。
このごろ詩を読んだり書いたりするのが面白く、
さてこの変化はどうしたものか
と思いますが、
杉山平一の『現代詩入門』を古書で求め読んでいたところ、
あれあれこの本は、
わたしがかつて
有隣堂横浜ルミネ店で買ったもの!
当時面白く読んだことも、
それから古本屋に売ったことも
すっかり忘れておりました。
高校教師をしていたころか、
教師を辞めて
東京の出版社勤務を始めたころだったかと…。
詩への興味が本人も気づかず、
チョビリチョンビリ
湧いていたのかもしれません。
今回、
その流れで、
上下二巻の浩瀚な『杉山平一全詩集』を読んでいましたら、
「あとがき」に面白いことが書かれていて、
たいへん興味を持ちました。
「上巻を出したとき、記念会で私の詩作品が戦後詩とくに現代詩といわれているものと違っているので「第一線を走っていると思っていたのに、あるとき、ふと、自分は一周遅れだったことに気づかされ、肩を並べているが実はいまは二周も三周もおくれているらしい。だからゴールはまださきであると思う」などといった。
けれども、下巻を編み「ミラボー橋」などを読んでいると、伊藤静雄さんが、杉山は別の山にのぼってバンザイしているといわれた通り、自分は一周二周おくれではなく皆と別の場所を走っているような気がしてきた。」
あはははは…
杉山さんのこのとぼけた感じがたまらなく。
さてわたし自身はというと、
周回遅れなら
皆さんと同じ向きで走っているからいいようなものの、
ひょっとして、
反対方向に走っているのに、
好い気になってすれ違うひとに
「よっ!」なんて、
寅さんみたいに声をかけていないとも限らない。
おそらくそんなところでしょう。
杉山さんは、
二〇一二年五月一九日に亡くなられました。
享年九十七。

・さくら散り陽光樹々を照らしけり  野衾