Archives : 3月, 2015

花見

 

・花を見に知らねば読めぬ掃部山

「桜が咲いております。懐かしい葛飾の桜が今年も咲いております。
思い起こせば二十年前、つまらねぇことでおやじと大喧嘩。
頭を血の出るほどぶん殴られて、そのままプイッと家(うち)をおん出て
もう一生帰らねぇ覚悟でおりましたものの、
花の咲く頃になると決まって思い出すのは故郷のこと……。
…………………………………………
今こうして江戸川の土手に立って生まれ故郷を眺めておりますと、
何やらこの胸の奥がぽっぽと火照ってくるような気がいたします。
そうです。わたくしの故郷と申しますのは、東京、葛飾の柴又でございます」
ちゃ~、ちゃららららららら~
ちゃらら~らら~ららららら~
というわけで、
花の咲く頃になりますと、
わたしが決まって思い出すのは『男はつらいよ』
であります。
山田洋次監督は、
この一作に賭けたらしく、
好評につきシリーズ四十八作までいくとは、
よもや思わなかったようで。
満開の桜が一転、
はらはらと花びらが舞い散る姿に、
さまざまの思いを重ねてしまうのは、
寅さんに限らぬことで、
むしろ寅さんは、
皆のこころを代弁してくれているのでしょう。

橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の七回目が掲載されました。
コチラです。

・水溜まりブルーシートに桜かな  野衾

カメ読書

 

・誘われてくぐり見あぐる花万朶

昨年九月、
神田神保町の東京堂書店にて、
文藝春秋前社長の平尾隆弘さんと対談した折、
司会進行役を務めてくださった学習院大学教授の中条省平さんが、
わたしの読書の型につき
「イソップ童話のような」と形容された。
そのときは笑って聞いていたのだが、
あとで、
ふと、
待てよ、
イソップ童話の何かな?
の疑問がもたげ。
「アリとキリギリス」?
ちがうな。
んーーーー?
なんだ?
んーーーー、
ひょっとして「ウサギとカメ」……
「ウサギとカメ」はイソップ童話か?
調べたら、
ありました。
「ウサギとカメ」もイソップにある。
そうだ。これだ。ちげえねえ!
てことは、
おいらはカメ!
ふむ。
たしかにな。
高校でも大学でも、
アタマのいい人はいっぱいいて、
こういう人たちと伍していくためには、
こつこつこつこつ
カメのように、
とまでは思わなかったけれど、
こつこついくしかないとは思ったから、
タイプとして
「ウサギとカメ」のカメは当たっている。
「イソップ童話のような」
と仰ったとき、
中条先生がイメージされていたのは
「ウサギとカメ」のカメで、
まず間違いないだろう。
資本論も源氏もプルーストも大菩薩峠も、
カメだから読める。
このごろのカメは週末、
『ジェイムズ・ジョイス伝』『田村隆一全集 5』『若い芸術家の肖像』
を読み終えた。
カメの読書はさらにつづく。

・季節詠む句作の途の桜かな  野衾

一生の願い

 

・裏道に陽の当たりをり花の野毛

ジョイスが妻と友人と三人でドライブに行った折のこと、
友人の運転する車を右へ左へ指示し、
あるレストランの前に停まった。
飲んだくれのジョイスの体を気遣う妻の忠告を無視し、
「ボトル一本だけ!」
妻のノラは、猛烈に反対する。
ジョイスは十回もの眼の手術をしており、
その頃すでに失明も危ぶまれていたからだ。
ジョイスは、
妻をレストランにひとり残し友人を暗いところへ連れ出す。
「バード、ぼくはもう君の顔を見ることはない。お願いがあるんだが」
「ぼくにできることなら……。でもこの先何度も会う機会はあるでしょう?」
「会う機会はね。でも、ぼくは明日チューリッヒへ行って、また手術を受ける。
今度はもう失明してしまいそうな気がする。
だからもう君の顔が見られないと言うんだ」
バードは不器用に彼を安心させようとした。そしてお願いとは何かと訊いた。
ジョイスは彼の腕を摑むと嬉しそうに、
「戻ってもう一杯やろう」と言った。
友と酒を飲むことが一生のお願いだったのだ。
…………………………………………
このエピソードを読んで思い出したことがある。
わたしが大学二年生、
弟が予備校に通っていたときのこと。
ひと月四万円の古い小さな木造の建物を借りて住んでいたのだが、
あるとき、弟が言った。
「兄貴。一生のお願いがある」
「………。なに?」
と平然を装ったものの、背筋に緊張が走った。
「なに? なによ?」
「……………」
「なんだよ。言ってくれよ」
「明日、パチンコに付き合ってくれないか?」
「へ?」
「だから、明日、パチンコに付き合ってくれないか?」
「は~?」
「ダメが?」
「ダメじゃないけど、一生のお願いって言うがら……」
というようなやり取りがあり、
翌日十時の開店を目指しパチンコ店に赴いた。
夜までやって、
二人合わせて八百円ぐらいの
プラスではなかったか。
弟に言われたそのときは、
大げさなことを言うなあと思ったけれど、
日を重ね年を重ねるたびに、
一生の願いがパチンコ店への誘いであったことは、
ジョイスに負けぬほど、
なかなか気が利いていると感心する。

・春の野と口に上せて黙しけり  野衾

おとなり

 

・リヱ祖母は辛夷の歌を歌いけり

といっても住まいする家でなく。
回転寿司の店での話。
夕刻のこととて空席がなくしばらく待つことに。
電子辞書を弄っているうちに声がかかり、
案内されるまま角の席へ。
二皿ぐらい食べたころ、
わたしの左隣の席が空き、
店の人に案内されて高齢の女性が座った。
まわっている皿は取らず、
刺身をいくつか板さんに頼んでいる。
それと熱燗。
わたしは三皿目のツブ貝を。
女性が箸入れから箸を取ろうとしていた。
その店の箸入れは、
箸を縦にして入れる形式のものでなく、
横に倒して並ばせる箱型のもので、
つまみを持ち、引き出しを引き、箸を取り出す。
椅子ひとつに対してひとつの箸入れ
がセットされていないから、
客が込んでくると、
必然、
隣の客のほうに
手を伸ばして箸を取ることになる。
ハッと気づいて、
わたしのほうが少し近い箸入れから
箸を取ってあげ、
隣の女性に渡した。
「ありがとうございます。お使い立てしてすみません」
「いえ」
それから女性はさらに刺身を頼み、
熱燗もお替りを。
わたしはこのごろにしては記録の九皿。
満腹になって席を立ち、
ジャンパーを羽織り「お先に」
と、
「おかげで楽しく飲むことができました」
練れていることばを
久しぶりに聞いた気がし、
仕事の苦虫が一瞬消えた。

・リヱ祖母の好きな山いま笑ひをり  野衾

ジョイスとユング

 

・木蓮や恥ずかしげ無し大胆に

リチャード・エルマンの
『ジェイムズ・ジョイス伝』を読んでいると、
二十世紀を揺るがせた錚々たる人物たちが、
まるで隣りの隠居が
裏通りから現れるような仕方で
ひょいと登場するが、
精神科医・心理学者のカール・グスタフ・ユングの場合もまた然り。
ユングはジョイスの主著『ユリシーズ』を
さほどの作品とは思っていなかったようだが、
その主なる理由は、
何が書いてあるのか、
理解が及ばなかったことにあったようで、
ユングは後にジョイス宛の、
さすがと思わせる手紙を書いている。
そのなかにこうある。
「この本についてなんとか分かるようになるまで三年間考えました。
……………………………………
私がどんなに退屈し、どんなに愚痴をこぼし、罵り、
またどんなに感心したか、それを世間に言わざるをえなかったからです。
最後の終止符なしの四十頁は、正真正銘見事な心理学の連続です。
女の心理について悪魔の祖母ならいざ知らず、
私はこれだけのことを知りませんでした。」
この手紙をもらい受け、
ジョイスは自作に関する、
心理学的洞察への賛辞を自慢げにひけらかしたらしい。
自伝の白眉『ユング自伝』を書いたユングが、
これほど絶賛したことにも驚くが、
落語の落ちかよと思わせられるのは、
ユングから絶賛された夫に関してのジョイス夫人ノラの発言。
「あの人は女性のことなんて何にも分かっていない」
世界の文学史に燦然と輝く『ユリシーズ』を、
ノラはだいたい読んでいなかったようなのだ。

・夢うつつ炎のごとき白木蓮  野衾

Archives

You are currently browsing the 港町横濱よもやま日記 blog archives for 3月, 2015.

三浦衛(みうら・まもる) 春風社代表にして自慢大王&悪ノリ大王。体調のいいときは自らを天才と称し、不調の折はちりあくたにも劣るヤツとしょんぼり。

2015年3月
« 2月   4月 »
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  
過去の日記
最近のコメント
三浦衛の本


『カメレオン』
 三人ときどき声にならぬ声を洩らし/とろけ とろけ 唾までとばし/クヂるとナメるとネヂるとチョす…(「鳶」) 自在に色を変え、不意に突き刺さる、軽妙なことばの戯れ。秋田方言満載の詩集。本文は金属活字による活版印刷。


『マハーヴァギナまたは巫山の夢』
 三平佐世夫は、千一夜の夢うつつで女と戯れ、印度に旅し、睾丸を抜かれ、鰐を飼い、横浜を彷徨う。言語の崖っぷちを綱渡りする、めくるめく冒険。本文活版印刷に美麗造本を施した平成の大奇書。


『父のふるさと』
 父の目に映じた故郷の風土、ひと、くらし、農事を、愛惜をこめ描きだす。本文は金属活字による活版印刷。「身と蓋函」に納める。


『出版は風まかせ』
 横浜の出版社「春風社」社長が本づくりと会社経営にまつわるエピソードを豊富におりまぜ、創業から10年を振り返る。