読売書評欄

 

・朝ひやり夕に汗する四月かな

『ヘラジカの贈り物 北方狩猟民カスカと動物の自然誌』
が今度の日曜日(四月六日)、
読売新聞の書評欄に取り上げられます。
著者は山口未花子さん。
岐阜大学の助教を務めておられます。
カナダの狩猟民カスカについて、
いわば体当たりでつづった研究書。
ミロコマチコさんの装画、
矢萩多聞さんの装丁とあわせ、
ぜひ手に取っていただきたいと思います。
ところで、
全国紙の書評掲載の予定は、
毎週水曜日ですから、
それが公表された日に弊社のツイッターで
情報を発信しています。
すでにご覧になった方もおられるでしょう。
昨日は五回のツイート。
近刊について、
本の内容、
著者紹介など。
ツイッターですから文字数は少ないですが、
刊行物を取り巻く社の動き、
著者の動向、
イベントなども
きめ細かく
旬の情報を発信していければと思います。
請うご期待!

・覚えればつかつてみたき花万朶  野衾

電子文字

 

・出社まで時を遅らす桜かな

商品としての電子書籍を
まだ買ったことがなく
読んだことがありませんが、
ディスプレイに表示された文字を読む
ということであれば、
日々行わない日はありません。
なので、
「電子文字」のほうが
わたしとしてはぴったりきます。
ところで、
体感としての電子文字の特徴は、
目で追う。
目が文字たちの上を滑る感じ。
ななめ読みが基本、
みたいな。
に対して、
従来型の紙の文字は
目で追いながら指で触る。
目で追うのと指で触るのとで
何処が違うか。
仕事のことで言えば、
間違いの気づき方が違う気がします。
校正作業をすると
それがよく分かります。
面倒でも、
出力した紙で読むほうが
誤りを見つけやすい。
紙に印字された文字はたしかに存在していて、
指でなぞれる気がします。
指先の感覚は精密。
ところで、
ディスプレイ上の文字となると、
極端に言うと、
こちらの意識を相当高めていないと、
何が書いてあるのか分かりません。
「手触り」「手触り感」という言葉を
このごろの書籍広告でよく目にしますから、
みなさん、
共通のことを感じているのではないでしょうか。

・枝離れ地に落つまでの桜かな  野衾

セザール・ビロトー

 

・原稿に向い鼻奥つんとせり

「セザール・ビロトー」はバルザックの小説。
バルザックの小説は、
ひとつひとつ独立していながら、
人物再登場の手法により、
全体として膨大な
「人間喜劇」を構成していますから、
あ! この人物、
ここでこんなことをしていたのか、
まるで極上の人間模様と
襞の境を目の当たりにするような、
眩暈でも起こしそうな、
そんな錯覚にとらわれます。
バルザックを読む度、
人間こんな感じ
人生はこんな感じ
等々と思い、
驕り高ぶってはいけないこと、
身の程を知ること
の大切さを思い知らされます。
セザール・ビロトーは香料商。
まじめにこつこつ仕事をしてきた人だったのに、
勲章を受章し好い気になり、
身の丈以上の舞踏会を催したあたりから、
歯車が狂い始める。
カネ、カネ、カネ、
カネの力の恐ろしさを
これでもかと思い知らされる
のもバルザックです。

・境内を雪ぎすすぎて桜かな  野衾

初

 

・消費税取り止めて欲し萬愚節

暑くても寒くても
室温をチェックする癖があり、
きのう帰宅し
ひょいと見たら、
21℃。
暖房を入れず
今年初めての21℃。
あちこち、
猫の眼が光る階段を上りながら
汗が滲んだのも宜なるかな。
ストーブを片付け、
冬物をしまい、
春物をいそいそと。
さてと何を。
今日はまた新入社員Yくんの初出社の日。
面接試験で
空手の型を披露してくれたYくん、
楽しみです。

・陽春の候と始めて句が継げず  野衾

マルホランド・ドライブ

 

・もやもやと腋くすぐられ山笑ふ

恋人はもちろん、
恋人でなくても大切なだれかを失ったとき、
ひとはどうなるか。
そのことを思い出させてくれる、
シュールで、痛く、切なく、
美しい映画でした。
『マルホランド・ドライブ』
二〇〇一年に製作された映画で、
監督はデイヴィッド・リンチ。
何が起きているのか、
事実なのか
夢なのか、
起きていることの意味はなんなのか、
一瞬も目を離せません。
ひとつひとつのことが、
当座は通り過ぎても、
後半への
精密な伏線になっており、
一昨年亡くなったアントニオ・タブッキの
目くるめく小説を彷彿させ、
また
かつて、
有楽町で観たあと、
館を出、
街をふらふら歩いてふらり入った先の店で
コーヒーを頼み、
ほとほと泣いていた
若いころ観た映画をなつかしく
思い出したりもし、
濃密で
くすぐったくもある時間を堪能。
いい映画でした。
好きな映画リストの上位にランクイン!
つぎはインランド・エンパイア。

・霞み立ち竹林淡く揺れてをり  野衾

人生最後の日

 

・はるさめやものおもふわれゆきてあり

アップルの創業者の一人で、
二〇一一年に亡くなったスティーブ・ジョブズは、
十七歳のときに
ある本を読み感銘を受け、
以来、三十数年間、
朝起きたら鏡に向かい、
かどうかは定かならねど、
「もしも今日が人生最後の日なら、
今日やる予定のことを私はやりたいだろうか?」
と自問自答することを
習慣にしていたそうです。
これは、
髪の毛一本で剣を吊るし
王位の危険を悟らせたという故事
「ダモクレスの剣」を連想させますが、
秋田にある出版老舗
「無明舎出版」の安倍社長のブログを読んでいたら、
上記ふたつのことがサッと頭をよぎりました。
舎から自費出版をする予定の方と
打ち合わせのために舎で待っていたところ、
待ち人が
約束の時刻になっても現れず三時間が経過、
知り合いの方から電話が入り、
曰く、
五日前に突然倒れて亡くなり
行けないと。
一週間前に安倍社長は、
その方と電話でいろいろ話していたのだそうです。
そんなことがあるのですね。
先のことはホントだれにもわかりません。
さてと我が身。
とりあえず、
今日やる予定のことを
やろうと思います。
*
写真は、秋田のなるちゃん提供。

・春風や馴染みの店のオープンす  野衾

世紀末的感情って

 

・梗塞と弛緩を経りし春の空

九鬼周造といえば『「いき」の構造』
岩波文庫に入っています。
九鬼さんは哲学者ですから、
「野暮」の反対の「いき」について
いかにも哲学者風の
いかめしい言辞を弄しているわけですが、
ご本人が生きておられたとして、
「弄している」なんて耳にしたら、
きっとかんかんになって怒ったかもしれません。
いや、笑ったかな。
九鬼さんは、
一九四一年(昭和十六)に京都で亡くなった、
そういう時代の人ですから、
時代が時代なので、
哲学書として書かざるを得なかったのかもしれない。
また、哲学書だからかえって売れたとか。
この人の筆力をもってすれば、
エッセイとして十分面白く書けただろうと想像されます。
今の時代なら、
きっとそうしたでしょう。
それはともかく。
「いき」という粋なテーマについて、
がちがちの言葉で論じるから、
なんとも言えない可笑し味が行間ににじみ、
笑えます。滑稽です。
この本にはさらに
「風流に関する一考察」と
「情緒の系図 歌を手引として」が
併録されていますが、
「情緒の系図」には何度か
思わず吹き出してしまいました。
この論考は、
新しく編まれた『新万葉集』から
百何十篇かを九鬼さんなりに択び、
分析を加えたもので、
その切り方と
大時代的な物言いが
可笑しさを噴出させます。
たとえば。
「「愛」の側では、消滅に対する「惜しい」という危機的感情があったが、
「憎」の側には、存続に対する「煩わしい」という世紀末的感情がある。」
ね。
この大げさ感!
危機的感情に世紀末的感情ですもん。
スゲーッて。
でもって、
その例として択んだ歌が
どういうのかといえば、
「古(ふ)り妻はいよいよ古りて
言ふことのあな煩(わずら)はし朝(あした)夕べに」
これが世紀末的感情。
川崎杜外さんの作。
この言辞とこの流れ、
笑わずにいられません。

・曇天下地平に花の点在す  野衾