割れ鐘

 

・Tシャツは未だ早かれど腕をだす

除夜の鐘の鐘ですが、
この体、
が
まるで鐘みたいと思うことしばしば。
言葉が響き。
サイレンの音ならサイレン、
クラクションの音ならクラクション、
カラスの声だって。
日によって
それほど振幅はないのに、
ことひとの話す言葉となると、
そんなわけにはゆかず、
染みてきたり、
ぽんと落ちてきたり、
逆撫でされたり
刺さったり。
静かに
響き具合をたしかめていると、
やがて意味は消え、
ただ澄んだいい音があるだけのときもある。
かと思えば、
ああ、
これは鐘が割れて
罅が入っている音だな、
と。
割れ鐘。
縦に。
罅の縁を震わす闇の音。
オ~マ~エ~ワ~、
エロイムエッサイム、
ドガンドガン
ドガン、
バジャバジャバジャバジャ、
ウンッドガン、
ピシャッ、
破れかぶれの感情に
溺れてしまいそうなときがあり、
もてあまし気味の
そんなときは、
目をつむってじっとし、
波が行過ぎるのを待ちます。

・我も生人も生なり緑さす  野衾

再会!中条先生

 

・新緑や振り返り見る仰ぎ見る

新入社員のY本くんをつれ学習院大学へ。
フランス文学ご専門の中条先生と、ある打ち合わせのために。
Y本くんは大学院時代に、
母校の大学で中条先生の講演があることを知り、
京都からわざわざ母校の地まで
訪ねて行った。
講演後、
Y本くんは中条先生のもとへ行き、
名を名乗り素性を話した。
ら、
中条先生、
Y本くんに名刺をくださり、
東京に出てくるようなことがあったら、
遠慮なく訪ねていらっしゃいとおっしゃった。
時がたち。
縁あって、
中条先生の本を出している春風社に入社。
願いかなって
先生に再会することとあいなった。
のだが。
前日、
あまりの緊張のため、
よく眠れなかったらしく、
いつも出勤時刻の早いY本くんなのに、
きのうはめずらしく遅刻、ほんの少々ながら。
おや?と思っていたらY本くん、
「社長!」
「ん?」
「社長! あのう。あのう。ちょっと、財布を忘れました…」
「は!?」
「はい。財布を忘れました」
「なんで? どしたの?」
「緊張して…」
「あはははは…」
Y本くんにとって中条先生の存在は相当のようで。
さて、
再会かなってホッとしたのか、
Y本くん、
帰りの電車の中ではナマコのように眠っておりました。
乗り換えのため横浜駅で降りたとき、
「疲れたみたいね?」
「いえ。そんなことはありません!」
「だって眠っていたじゃない」
「いえ。そんなことはありません!」
「毎日が新しいから、疲れるでしょう?」
「いえ。そんなことはありません!」
こころよきY本くんなのでした。

・二人来て学習院の若葉かな  野衾

ヘラジカの贈り物

 

・言葉無きとき重なりて春愁ふ

子どものころ、
家の前で
父と近所の男たちが豚を解体していたことがあった。
ウチで飼っていた豚で、
解体には祖父も加わっていたと思う。
電気で豚を殺したあと、
腹を裂くと
煮立った鍋の蓋を開けたときのように、
もわっと生臭い匂いが立ち上った。
男たちに解体された後、
肉はきれいに小分けにされ、
子どもだったわたしは近所に配りに行った。
おカネをもらった。
夜になって、
大鍋で豚の肉を煮、
骨付きの肉にかぶりついた。
湯気がもうもうと立ち上るなか、
うまいうまいと言って食べたことを覚えている。
手についた脂がなかなかとれず、
新聞紙をくしゃくしゃにして手を拭った。
その後、
宮沢賢治の『フランドン農学校の豚』を読み、
そこには屠殺される豚の気持ちが書いてあったけれど、
読んでしばらく豚肉が食べれなくなった
という話も聞いたけれど、
わたしはそんなことはなかった…。
さて、
近頃弊社から
『ヘラジカの贈り物』という本を出版しました。
サブタイトルに「北方狩猟民カスカと動物の自然誌」
とあります。
著者は文化人類学者の山口未花子さん。
北米インディアンの古老を訪ね
単身弟子入りし、
いっしょに暮らした記録です。
その山口さんに
「ほぼ日刊イトイ新聞」の奥野さんがインタビューしてくださり、
すてきな記事になりました。
すでにツイッターで案内しているので、
ご覧になっている方もあると思いますが、
まだの方はぜひ。
山口さんの半生も垣間見られとても面白いです。
このインタビューで
わたしが個人的に最も感動したのは、
「わたし、ちいさいころから
動物のこと、本当に大好きだったんですけど、
「動物を食べる」ことについては
なんというか……抵抗がなかった」という山口さんの発言。
すごい! って思いました。
この感覚に正直であることが山口さんを
カナダの先住民「カスカ」の人たちに向かわせた
とも言えるのでは、と思いました。
記事はコチラです。
インタビュー記事を読み、
ふだん眠っているのか眠らされているのか、
そんな風になっている細胞が
ぷちぷち目覚めてくるようでもありました。

・巻を閉じ春に似合ひのバルザック  野衾

マッハの映画『インランド・エンパイア』

 

・ぬーぼーと幽閉され居る春日かな

いやはや度肝を抜かれました。
こんなにオシャレで
かっこいい映画とは思いませんでした。
『マルホランド・ドライブ』
を観たときも
思ったことですが、
この監督、
なんて叙情的なんだと。
たとえば詩を読んで、
その詩が気に入り、
ながく忘れられないものになるような、
とでもいったらいいでしょうか。
ていうか、
これ、映画だけど、
ほぼ三時間の極めつけ極上(同じか)の詩だなとも。
「陶酔の3時間!」のキャッチコピーに納得。
物語は、
ローラ・ダーン演じる女優ニッキーが、
ある映画の主役に抜擢され大喜びするものの、
その映画というのが
オリジナルのものでなく、
かつてつくられていたものでありながら
未完のまま終っていた。
なぜなら、
主役二人が惨殺されるという
いわくつきの映画だったから。
今回その映画をリメイクすることになり…。
演技でしていることがどうやら
本気モードにスライドしてゆき、
本気に移り変ったと見ていると
監督の「カット!」の声。
恋の偶然は
恋するものには必然と感じられ
毒にあてられ狂多く神聖にして罪深い。
演技の始まりと、
役を生きはじめる役者の
本気と狂気が入り乱れ、
見ていてそれが本気と信じられる
ようになってくると、
めまぐるしく変わる展開がスッと胸に落ちてくる。
このスピード感!
そうなると、
いちいちがむしろ正確で。
詩人のねじめ正一さんが『ぼくらの言葉塾』のなかで、
詩のことばはまず正確でなければならないといい、
高校生の書いた詩を紹介していました。
女子高生が、クラス替えが行われた翌朝、
緊張して誰よりも早く学校へ行くときの場面が詩の一行目。
主人公は「マッハの速さ」で自転車をこぎます。
現実には自転車はマッハのスピードは出ない。
けれど、
その詩を読んでいくにつれ、
この詩の主人公が乗る自転車は
マッハの速さでなければならないことに気づく、
とねじめさんは解説しています。
ねじめさんの文章をあわせ読うむちに、
それはそうであると信じられます。
デイヴィッド・リンチ監督の
『インランド・エンパイア』がまさにそれ。
異様な展開、ギョッのシーン、お化けじみた顔も、
なるほどそれと腑に落ち信じられる。
そしてエンドロールのかっこよさったら!!
DVDはこんなとき便利だ。
最後のチャプター、もう十回は見たもんね。
片脚のない女性が両手に杖を持ち
ゆっくり歩いてきて「ステキ」と。
(アップの顔が男っぽくも見える)
ソファに腰掛ける胸の大きいあどけない表情の金髪女性。
ソファの端で飛び跳ねるサル。
少し置いてこちらのソファには
『マルホランド・ドライブ』にも出ていた
ローラ・エレナ・ハリング。
投げキッス。
受けるようにニッキーのローラ・ダーンも
投げキッス。
鋸で丸太を切る男。
静かに音楽が始まり、
ラフな思い思いの格好で登場する女たち。
その歌と踊りがなんともセクシー、
ワンダホーなのだ。
盛り上がっての最後、
下からゆっくりと
INLAND
EMPIRE
文字が現れ音楽とともに消え。
もう言うことなし、
ク~! ク~!
文句なしのかっこいい映画なのでした。

・春うらら暗黒事件晴れやらず  野衾

りなちゃんホームズ

 

・曇天にひっそり閑の桜かな

幼稚園に入る前から仲良くしている
近所のりなちゃんは、
この四月から中学生になり、
毎日鎌倉へ通っています。
小さいころから本が好きで、
出版社の人間としては
心強くも思い、
行く末を楽しみにしてき、
今もしています。
りなちゃんこのごろは、
アーサー・コナン・ドイルの
『シャーロック・ホームズシリーズ』が大のお気に入り。
正確には、
シャーロック・ホームズが、のようです。
中学の合格祝いに
ママ(パパ?)からプレゼントされた
ホームズの帽子を被ると、
りなちゃんホームズの出来上がり。
とてもよく似合っています。
りなちゃんホームズになら、
隠している秘密もあばいてもらいたい気がします。
秘密をあばくにはルーペが必要。
もうすぐりなちゃんの誕生日。
待っててね!

・春の宵ものをおもひてさびしかり  野衾

今日の呪文

 

・散りて後なほ見上げたる桜かな

五十代も後半に入り、
物忘れがとみに進んでおりまして。
子どものころからよく忘れ物をし
自己嫌悪に陥っては、
もう二度と忘れ物をするものかと一大決心するものの、
数日を経ずして
またなにやら忘れ物をし
クッッソ~!!と思っていたわたしとしては、
そのこと自体はべつに驚きません。
が、
忘れてしまってあやややや
と困ることは度々です。
このごろゴムの伸びたパンツがある。
簡易なお仏壇に置いてある
お線香の箱の横のライターのガスも切れた。
これは退社時に買ってこなければ。
というわけで、
パンツとライターパンツとライターパンツとライターパンツとライター…。
念仏のように唱えていたわけです。
が。
横浜駅で途中下車しあそこの店に寄ろう
と決めていたことを案の定すっかり忘れ、
ふつうに横須賀線に乗り換え保土ヶ谷駅に着いてしまいました。
くやしいです。
くやしいので、
駅近のスーパーマーケットに寄り、
ライターだけは買いました。
下着類が二階にあることを知ってはいるけれど。
ふむ。
一応行ってみました。
縞々のパンツか。
グレーか。
これも縞々か。
こっちはタテヨコか。
ふむ。
しばしパンツと睨めっこ。
妥協するか。
いや。
わたしの美意識が許さない、
ほどのこともないのですが。
結局買わず。
なので今日の呪文は、
パンツパンツパンツパンツパンツ…。

・春の宵階段ふらりふらりかな  野衾

後ろ向きに

 

・春の月体育館の上にあり

きのうに引き続き竹内敏晴さんのことを。
竹内さんは一九二五年生まれ。
わたしの父より六歳上で、
「もう一人の父」として親しくさせていただき、
春風社を起こしてからも、
事あるごとにお力添えをいただきました。
その竹内さんがよく語っていたことに、
「後ろ向きに歴史の中に入る」があります。
たとえば弊社刊行の『待つしかない、か。』(木田元さんとの対談)に、
こういうことばがでてきます。
「二十歳で戦争が終わったでしょう。
デモクラシーとかヒューマニズムといった占領国のイデオロギーが、
バーッと入ってきた。……
時代がどんどんうごいていくなかで、
私は後ろ向きに歴史の中に入っていくという感じがした。
前を向いて、時代がこううごくと見極めて、
自分はこの道を選んで歩こうとはならない。いつも後ろ向きで、
まわりのものに流されるしかない。
それじゃあ一体どうしたら前を向けるのか。
主体性、自分の実感に基づく主体力みたいなものは
一体どうやったら持てるんだろうか。
こういう思いがとても強かった」
後ろ向きに歴史の中に入っていく、
読めば、また直接うかがったこともありましたから、
なるほどそうか、ふんふん、
と、その時は納得したつもりでした。
ただ、竹内さんはすぐれて感覚の人でもありましたから、
納得したつもりになっても、
つもりはあくまでつもりで、
ほんとうの理解に至っているかどうかは分からない。
油断ができません。
後ろ向きに歴史の中に入っていく、
どういうこと、
どういう事態なのだろうとずっと思ってきました。
前置きが長くなりました。
二〇一一年三月十一日、東日本大震災が起き、
その後、多くの本が刊行されるなか、
畠山直哉さんの写真集『気仙川』の写真と文章を、
とくに最後の「あとがきにかえて」を読み、
ハッとさせられました。
また少し長くなりますが、引用いたします。
「出来事としての東日本大震災の後では、
今この世にいる人間すべてが
「生存者(サヴァイヴァー)」であるように僕には見える。
生存者同士の間では「前を向こう」と励まし合い、
お互いに手を差しのべながら歩く、
そんな温かさが何よりも大事であることは言うまでもないけれど、
僕にはこの「前を向く」ことがなかなか難しい。
東京にいる時はほとんど暗室で、
ネガを探してはプリントを焼くという時間を過ごしている僕は、
自分の過去とつきあう時間が圧倒的に多く、
人といっしょに歩く時でも、
言ってみれば僕だけが「後ろを向いたまま」後ずさりするように
歩いているような気になる。
背後からやってくる未来に、背中の神経を集中させながらも、
僕は来し方が遠く小さくなってゆく光景から目を話すことができない。
誰かに「前を向いた方がいい」と言われても、
その度に僕はたぶん
「もう少しだけこのまま後ろ向きに歩かせて下さい」とことわり続けるだろう」
「後ろ向きに」という竹内さんのことばが、
はじめて感覚的に分かった気がした。
後ろ向きということは、
背後から次つぎにやってくる未来、言葉たちに
信が置けないということでもあろう。
これから、前を向くのになにが要るのか、
自分で感じわけ、考えながら、
竹内さんのことばを再度吟味することも大事かと思われます。
『待つしかない、か。』は長く品切れ状態でしたが、
弊社十五周年にあたる今年、
装いも新たに『新版 待つしかない、か。』
として刊行する予定です。

・花びらが歩に沿ひ來る桜かな  野衾