うのき食堂

 

・ふはりふは舞ひて散りゆく桜かな

連休期間中、父のいとこの葬儀があり、
父も母も出ずっぱりだったため、
我が弟が車を運転し、
もっぱら移動の足になってくれました。
有難し!
二百種二千本の桜が植えられている
今年は連休時期がまさに見ごろの日本国花苑、よかったぁ。
ひと多し。
ゆっくり散歩していると、
向こうから、
シャキシャキ、パキッ、シャキシャキ、パキッ…
と、
リズミカルに歩いてくるご婦人がいて、
目をみはる。
すごく直角。
「パキッ」のところで曲がります。
音までは聴こえませんが、
聴こえてきそうなぐらい鋭く。
弟が「あ、N美さんのお姉さんのR子さんだ」
シャキシャキ、パキッ、シャキシャキ、パキッ…
「こんにちは」
「はぁ、こんにちは。来てらっしたんしかぁ」
しばし立ち話。
数分ののち、
R子さん再び歩き始める。
わたしは振り向き
なんとなく目で追いかける。
シャキシャキ、パキッ、シャキシャキ、パキッ…
翌日は、
弟が五城目町にある
うのき食堂に連れて行ってくれた。
五十年ぶり、は大げさだが、
ほぼそれに近い!
懐かしかったぁ!!
店に入った瞬間、
ラーメンのスープの香がつーんと鼻を刺激し、
一気にタイムトラベル、
子ども時代に戻りました。
大人になってみると
祖母は身の丈が小さいひとだと分かりましたが、
あの頃は祖母よりずっと小さかった。
いつも祖母にくっついていた気がします。
というようなことを思い出しながら、
大盛り中華そばを完食。
んめがったー!!

・あはあはと大和のくにの若葉かな  野衾

叔父の粗忽

 

・ふるさとの色降り來る国花苑

五月二日に長患いをしていた父のいとこが亡くなり、
葬儀が執り行われた。
都会に比べると、
田舎の儀礼は
まだ少し大掛かりなようで、
母は三日連続で手伝いにでかけた。
葬儀へは父と近所に住む叔父が出席。
父のいとこは叔父のいとこでもあるわけで。
当日、
父は礼服を着込み叔父を待っていた。
ほどなく黒の礼服に身を包んだ叔父が坂を下りてきた。
叔父の家までは歩いて二分とかからない。
玄関で靴を脱ぎ、
居間に上がった叔父いわく、
「これ。兄貴に似合うがとおもて…」
ふがふがと皺の寄った口で言った。
見ればネクタイピンなのだった。
黒のネクタイに合うものを父はちょうど探しているところだった。
わたしは叔父に尋ねた。
「父さんがらたのまれでいだのが?」
「なも。んでにゃよ」
叔父は、頼まれもしないのに、
機転をきかし、
父に似合うネクタイピンを持参したのだった。
近所に叔父が居てくれるおかげで、
農作業はもとより、
日々の暮らしにおいて
どれだけ助かっているかわからない。
今年の二月、
屋根の雪を下ろしていて梯子ごと投げ出され、
腰を強く打ったときも
病院まで父を運んでくれたのは叔父だった。
叔父は、
父のことを兄貴とよぶ。
兄貴、兄貴。
叔父が持参したネクタイピンは父によく似合っていた。
父も満足げだった。
父は叔父に礼を言った。
「なんもなんも」と叔父。
と、
「あっ!!!」
大きく開いた叔父の口が空洞だった。
ん!?
「歯、忘いだ!」
叔父は速攻家に戻る。
やがてふたたびやってきて、
「これで、えがべ」
ばっちり入った歯を見せ笑った叔父、
父と並んで家を出た。

・遠蛙聴きて眼を閉づ夜半かな  野衾

キムチ臭

 

・口の端に上せてうれし五月かな

一昨晩キムチを食べた。
にんにくがよくきいてとても美味しく、
ざくざくと。
ビールも冷えていたし。
床に入る前によく歯をみがいた。
朝となり、
キムチのことを思い出し、
いつもより念入りに歯をみがく。
いつもより濃い目にコーヒーを淹れる。
八時四十五分に家を出、
フリスクペパーミントをいつもより多く口中へ。
でも、
なんか気になるなぁ。
会社に着いて、
Y山さんからいただいたお菓子を食べた。
さらに。
エレベーターで下へ降り、
自動販売機でブラックコーヒーを買って飲んだ。
まだ気になる。
となりの武家屋敷に尋ねる。
「キムチ臭くない?」
「離れているから分かりません」
「あ、そ」
ふむ。
なんか気になるなぁ…。
午後になってようやく忘れ、
夕刻近くになると
もうすっかり忘れ、
帰宅したら欲望のほうが勝ち、
また食べた。
食べてしまった。
やっぱり美味しい!
でもちょっと理性が働いたのは、
量が一昨晩の半分くらい。
てか、
一昨晩食べ過ぎて
それしか残っていなかった。
今日は来客もありますゆえ、
万全の態勢で臨もうと思います。

・新緑を浴びて息する色をなす  野衾

適材適所

 

・紙袋に本いっぱいの五月かな

先だっての朝、
みんなのいる場所で、
適材適所について話をしました。
人のことにかぎったことでなく、
モノも、
そのときどきのことばもと。
会社の現状と先々を考え、
いま会社にとって大事だと思うから言ったのですが、
そのとき、
ひとつの詩がわたしの胸中にひびいていました。
今年二月にお亡くなりになった
まど・みちおさんの「リンゴ」という詩です。

リンゴを ひとつ
ここに おくと

リンゴの
この 大きさは
この リンゴだけで
いっぱいだ

……………

三連四連とつづく第四連に、
「あることと/ないことが/まぶしいように/ぴったりだ」
とあります。
あることとないことがまぶしいようにぴったり。
ここがとても好きです。
「場」ということばも下りてきました。
いま『西田哲学から聖霊神学へ』のゲラを読んでいます。
すべてが、すべては、ぴったりあっている。
出会いも別れもまた出会いも。
そんなことを考えての適材適所でした。
ひとも、モノも、ことばもひびき、ひびきあう。
きょうから五月。

・音なくて上からしずく慈雨ていふ  野衾

山本直樹「ベスト・ワークス。」

 

・なんといふ空のむかふの五月かな

『夕方のおともだち』につづき、
山本直樹の漫画
『明日(あした)また電話するよ』『世界最後の日々』
を読んだ。
これまで描いた短編作品からの自選集とのこと。
セックス、自慰、ヘンタイ的プレー満載。
線がきれい、画がきれい。
また、あ、そういうところ
興奮するんだよなぁと
いう辺りがちゃんときちんと描かれており、
エロくてスケベで性欲情する。
にもかかわらず、
ページに漂う空気感が
それと言い切っただけではもったいない。
エロはエロなのだが…。
意味がありそで無さそうな
アワアワした感じが心地よい。
たとえば夏休み、
蝉がみんみんみんみんみんみん、
溢れんばかりに鳴いている作品「泳ぐ」を読むうちに、
かつて性欲情した、
夏の興奮がありありと呼び覚まされた。
読んでいる今ここに無意識の風景がひろがる。
エロなのに、
行為そのものもアワアワとし、
周りの景色はシーンとしている。
どこかからだれかに見られている感じ。
そうそうそう、合点がいき、
宙ぶらりんの心もとなの悦に入る。
と、
感想を書き始めてみるものの、
書いたすぐあとから
洩れてこぼれていくことの方が多い気がしてしまう。
むしろそちらに静かな感動がありそうだ。
なので再読の本棚に置くことにした。
余韻を愉しみ、
カッコいいなと思いつつ一編を読み終えると、
各編の最後に短いコメントがあって、
たとえば、
「最後のコマは渋谷のなに口だっけ? モアイのある方。
セリフは中原中也のパクリ。」(「コールド」)
とブンガクしてもいる。
この作者、
漫画はもちろん、きっと本を相当読んでいる。
小説でも映画でも
下世話のウソを剥ぎ
また暴き、
巧みになされる性描写に触れると、
これは凄い!
て思わされますが、
この山本直樹て人は凄い!
師匠安原顯いうところの、
表現行為の猛毒に触れる気もする。
いやこの毒は、
むしろゆっくりと効きはじめ、
好きな韓国映画『風の丘を越えて』の
ソンファの光を奪ったブシのようでもあり、
この三冊、
性欲情の傑作群と感じられた。
鈴木成一デザイン室の装丁も素晴らしく。
『明日(あした)また電話するよ』の巻末付録に、
「山本直樹の歴代ハマリモノ集成」があるが、
その中で、
田中小実昌の本にハマったというのも嬉しい!
「なんにもなさ。なんにもないということを語るということ。
かたやエロとセンチメンタル。」
そうそう。
エロもセンチメンタルも毒なのだ。
『ポロポロ』最高です。
ところで性欲情は、
アラーキーこと荒木経惟さんのパクリです。

・新緑や風の起こりてささやきつ  野衾

名探偵コナン連載20周年記念【コナン展】

 

・列長し着くか着かぬかコナン展

近所のりなちゃんは、
名探偵コナンの大ファンでありまして、
ここ数年、
コナンの新しい映画が封切られると、
おねえちゃんともども
三人で観に行くのが恒例になっています。
今年は来月行くことにしています。
わたしもすっかりハマってしまい、
コナン映画を観るのが
この時期の楽しみになりました。
涙腺が弱く、
映画を観ながら眼をうるうるさせています。
ところでそのコナンの原作、
連載が始まって二十年だそうです。
春風社は今年創業十五年、
りなちゃんは今月十三歳、
二十年はたいしたもの。
ということで、
きのうのコナン展を
りなちゃんもわたしも
鶴首して待っておりました。
会場の赤レンガ倉庫に着いて驚いた。
果ての見えない長蛇の列。
このとき午前十時〇七分。
ここが最後だろうと思って近づくや、
「最後尾はもっと後ろですよ」と声をかけられ、
さらに後ろへ。
「最後尾はもっと後ろですよ」
まだか。
「最後尾はもっと後ろですよ」
え!? どんだけ?
ここか。
長過ぎ!
いやはや、なんとも。
驚くべきコナン人気。
にょろにょろうにゃうにゃちりちりと進んで、
ようやく建物の中に入ったと思いきや、
それからまたまた、
にょろにょろうにゃうにゃちりちりと。
会場に入ったのが午後の二時に近かった。
この間りなちゃんは、
持参していた数学の宿題を終え、
わたしは薄手の文庫本一冊読了。
さてと。
受付のところで渡された
謎解きのカードを片手に、
ポイントポイントに掲げられている
プレートに記された暗号解読に挑戦しているうちに、
アッハ体験を幾度か重ね、
いつの間にやら疲れも吹っ飛ぶ。
ああ楽しかった!
りなちゃんも大満足の様子。
さらに、
バッヂと赤い蝶ネクタイのグッズも欲しかったようですが、
グッズに並ぶ列がまた大したもので、
係りの人に尋ねると、
一時間や二時間そこらはかかりますとのこと、
りなちゃんそれはさすがに諦めた。
次は「名探偵コナン 異次元のスナイパー」だ!

・山よりも腿の付け根の痛きかな  野衾

畠山直哉『BLAST』

 

・緑さす雫まあるく光りけり

これはなんだろうか。
岩が破れ、四方に飛び、
例外なく
こちらに向かっても放られている。
これ、本物の写真だろうか。
疑いたくなるぐらい。
それほどの、ま、さ、に、瞬、間。
瞬間て、あるのだ。
この写真集は、
石灰石鉱山の爆破の模様を
爆破物に当たらないギリギリまで迫って撮った写真。
撮る側も撮られる側も
精密機械のような技術がともなう。
ページを追うごとに、
これって、この地球の出来事なのか、
どうやらわけのわからない宇宙のどこか
別の星の出来事なのでは、
こんな瞬間が印刷されるなんて…と、
無重力の感覚を呼び覚まされる。
『気仙川』の写真集を見、読んだときも感じたことだが、
この写真家の背骨は詩人なのだと思う。
詩人がカメラを持っている。
写真家が詩も書くという体のものでなく。
『BLAST』の「ながいあとがき」のなかの、
たとえばこの文章。
「胸のポケットから小さな手帳を取り出しては、
数字を確かめたり、鉛筆で書き込んだり、
ヘルメットの縁を指で持ち上げてまた切り羽を眺めたり。
こんな風にして何十年も鉱山で過ごしてきた発破技師だからこそ、
はっきりと「あそこまで岩は飛ぶ」と予言することができる。
彼と石灰石の間には、長年の作業を通じて生まれた、
なにか確実なものがあって、
それは、ロマン主義の詩人たちがよく用いる、
あの「照応(correspondence)」という言葉で呼ぶのが、
いちばんふさわしいもののように思えてくる。」

ボードレールの詩にCORRESPONDANCESがある。

「自然は神の宮にして、生ある柱
時をりに 捉へがたなき言葉を洩らす。
人、象徴の森を經て 此處を過ぎ行き、
森、なつかしき眼相(まなざし)に 人を眺む。
……」(鈴木信太郎訳『岩波文庫』)

照応(correspondence)について
畠山さんが言っているから、
ということでもない。
『BLAST』の「ながいあとがき」の最後のほうに、
「自然を怖れず、されど侮らず、心には常に、神を念じつつ…」
という言葉が紹介されている。
畠山さんがかよっていたある鉱山事務所の応接室に掲げられていたそうだ。
前任の所長が残していった言葉を、
写真家は、
そこへ足を運ぶたびにじっと見つめていたという。

・春の宵コットンクラブの友の顔  野衾