父の電話

 

・香り立つ垣根身を寄す五月かな

帰宅途中に携帯電話が鳴り、
ひょいと見たら「秋田実家」の表示。
通話までのわずか二、三秒、
頭をよぎったのは、
二月に雪下ろしをしていて
梯子ごと地面に投げ出され、
背骨の軟骨を損傷した後遺症でもでてきたか、
ということ。
恐る恐る「はい。もしもし…」
「もしもし。おいだ。田植え終わったど」
「おいだ」は「俺だ」の意。
なんだ、そういうことか。
「なんだ」は余計ですがホッとしました。
少し心拍数が上がったようです。
近所に住む父の弟妹、
わたしの弟も手伝って無事、
今年の田植えがすべて終了したとのことでした。
ゴールデンウィークに帰省した折、
父のいとこが二日に亡くなったこともあり、
なんとなく落ち込んでいましたから、
安心させる意味もあって電話してきたのでしょう。

・息ひそむ五月の風呂の温さかな  野衾

孤独な作業

 

・新緑のぎざぎざ先の滴かな

著者からいただいた原稿は、
編集ソフトで組んでから出力し、
校正刷り、ゲラ刷りとして精読しますが、
弊社の場合、
ここにいちばん時間をかけます。
じっくりと丁寧に読み、
語調をととのえ疑問を記していきます。
チェックは朱でなく鉛筆で。
この作業を通じ、
営業トークとは別に、
弊社の仕事ぶりを
著者に分かってもらいたいと願っています。
時間をかけ、
時間はかかりますが、
面白いことも無類といっていいでしょう。
ゲラ読みは、
原稿と向き合う孤独な作業ですが、
集中してくると、
まるで言霊に乗り移られるかのごとく、
なんの巡礼に向かうのか、
同行二人の状態を呈してきます。
そうすると、
どんなに専門性の高い内容でも、
あたりまえのことながら、
文章は必ずそれを書いた人がい、
行住坐臥の暮らしが仄見えてきて、
ひと呼吸ひと呼吸、
たしかにそこに人がいると深く感じられます。
この感じをこれからも大切にしていきたい。
今日、
弊社の創立十五周年を期し
リニューアルした「春風新聞」の見本が届きます。

・新緑や内外(うちと)のしずく光りをり  野衾

忘れ防止対策

 

・真夏日の報にたじろぐ五月かな

子どもの頃から忘れ癖があり、
母にしょっちゅう注意されたにもかかわらず、
どうも生まれついての癖であるらしく、
が、
そういうふうに割り切って
割り切れるものでもなく、
大事なことを、
またモノを、
忘れれば忘れたで
けっこう落ち込みますから、
それなりの工夫をしてきました。
仕事について言えば、
このごろは、
幅広の付箋にメモをし、
机横の棚の背に貼り付けています。
パソコンのすぐ右手ですから必ず目に触れます。
幅広の付箋のいいところは、
書くスペースがそこそこあって、
情報を細かく更新できること。
時間の経過とともに、
仕事内容が具体的になったり、
約束の期日が延長したりすることはしばしばですが、
変更になった旨を記しておくと安心します。
仕事をていねいにするつもりで
付箋を新しいものに替え書き改めてしまうとむしろよくない。
文字の上を二重線で消し、
更新の日付を小さく入れておくことで、
時間が経っても事柄の経緯を思い出せます。
それでも不安になって、
在宅で仕事をしてもらっているY山さんに
電話で確認することも間々あり。
三つ子の癖はどうやら抜けず、
だましだまし
仲良く付き合っていくしかないようです。

・破れかぶれ超真夏日を待ちてをり  野衾

御殿山

 

・朝靄を透かし輝く五月かな

わたしが住んでいる丘は御殿山といいます。
タクシーの運転手に告げた場合、
「へ~、御殿山っていうんすか」と言われ、
つい、三平よろしく、
「えらそうでスイマセン」と口をついて出ることもあります。
長く住んでいるひとに尋ねても、
かつて御殿があったという話をとんと聞かず、
ならばなんで御殿山なの?と不思議でしたが、
このごろひょっとしたらと思わないでもありません。
保土ヶ谷橋から井土ヶ谷に向かう環状1号は、
井土ヶ谷切り通しとも呼ばれていて、
東向きの窓から切り通しの向かい側を見ると、
丘になっており、
緑の中に家が点在しています。
日没の頃、
晴れていると、
西日が丘を照らして黄金に輝きます。
十数年前、
モデルルームを見に来たときに、
まさにその時間にあたってい、
その景色と色に一目ぼれして、
あとさきを考えず速攻で購入を決めました。
御殿山は、
御殿のあった山、でなく、
御殿から見る夕陽に見まごうばかりの景色が楽しめる山
ぐらいの意味で、
ここに昔住んでいた人が付けた名前かと
このごろ勝手に思っています。
*
写真は、まるちゃん提供。

・新緑や水したたりて珠となる  野衾

日の出

 

・ほととぎす啼きてパソコン手を休む

この日記を書いている部屋の窓は東に向いており、
晴れた日の朝、
空がだんだん明るみを増し、
太陽が向こうの丘の上に顔を出すまでの時々刻々、
色の変化の眺めは一日の楽しみです。
どの季節の日の出も目を楽しませてくれますが、
いまは新緑の季節、
青葉若葉の息吹きはまた格別。
本を読む手を休め、
ときにベランダにでて手すりにつかまり、
ピンクや黄や紫や水色のグラデーションに見とれてしまいます。
『ユング自伝』にあった
アフリカのキャンプ地での夜明け、
丘の上で日の出を待つかのごとく居並ぶ
狒々たちの
印象深い記述を思い出したり。
きょうは少し曇っているようです。

・ひかり来て五月を碧く照らしけり  野衾

ヒエログリフに匹敵!

 

・刻々と瞬き惜しむ若葉かな

創価大学教授の石原忠佳(いしはら・ただよし)さんの近著
『ベルベル語とティフィナグ文字の基礎』について、
もう一つ。
この刊行を喜んだベルベル人の統一団体
「21世紀リーフ・アマズィク協会」会長ヤーシン・ラフムーニ氏が
ベルベル語とアラビア語で序文を書いてくださった
ことはすでに紹介しましたが、
著者の石原さんが
序文に日本語訳を添えたものを
ラフムーニ氏に送ったところ、
さらに喜びのコメントをくださったという。
その文章が素晴らしく、
それが日本語訳され、
本書「あとがき」に収録されています。
翻訳は石原さん。
「序文が日本語、ティフィナグ文字、アラビア文字で綴られているのを見て、
エジプト史の一場面が浮かんできました。
ナポレオンのエジプト遠征の際に、
ナイル川支流で発見されたロゼッタ・ストーン(Rosetta Stone)に、
三段にわたって異なる言語が刻まれていたことです。
第1段はヒエログリフ(聖刻文字)、
中段はデモティック(古代エジプト民衆文字)、
そして下段にはギリシャ語が綴られていましたが、
1822年フランスの言語学者シャンポリオン(J. Champollion)によって解読され、
同じ内容であることが明らかになったことはご存じだと思います。
今回の序文の冒頭に綴られている日本語の文字は、
私にとってはヒエログリフのようなものです。
今日までタリーフィート語を取り上げた文法書が、
外国で刊行されたことは一度もありませんでした。
ましてティフィナグ文字を紹介した出版物は言うまでもありません。
そのようなわけで、序文のティフィナグ文字は、
全世界の人々にとっては、ヒエログリフに匹敵するのかもしれません」
*
写真は、ひかりちゃん提供。

・光り充つ五月の森の水族館  野衾

ベルベル人の音楽と日本の唄

 

・一年の後半戦に入る日かな

今年二月に『ベルベル語とティフィナグ文字の基礎』という本を出した。
著者は、
創価大学教授の石原忠佳(いしはら・ただよし)さん。
ベルベル人は、
3000年以上前から北アフリカに住む原住民。
著者の石原さんは今から40年前、
アフリカの風土と文化に興味を持ち、
その言葉を学ぼうと思い立った。
気の遠くなるような時間の中で、
アラビア語を話すエジプト人も理解できない言語に遭遇する。
それがベルベル人のベルベル語だった。
ベルベル語は、
当時公の場では使用が禁止されていたらしい。
わたしたちは学校で、
「意味の分からない言葉を話す野蛮人」
という意味のギリシャ語「バルバロイ」の語を習うが、
ベルベルとはこのバルバロイに由来するという。
今回の『ベルベル語とティフィナグ文字の基礎』は、
石原さんの長年の研究成果をまとめたもので、
世界で初めての体系的な文法書ということになる。
この刊行を喜んだベルベル人の統一団体
「21世紀リーフ・アマズィク協会」会長ヤーシン・ラフムーニ氏が、
ベルベル語とアラビア語で序文を書いてくださった。
石原さんはこの本を外国語に翻訳し、
辞書をつくる構想もお持ちだ。
ところで、
石原さんによれば、
ベルベル人と日本人ではいろいろな点で似ているという。
たとえば、
赤ん坊に蒙古斑があるとか、
来客者に何も聞かずに茶をふるまうとか。
驚くのは、
ベルベル人の伝統民謡の調べが日本の民謡に似ているらしいこと。
津軽民謡や木曾節を現地の人に聞かせたところ、
「これは我々の祖先の音楽だ」と言ったという。
今回の出版にあたり、
ベルベルの音声と音楽を収めたCDも別売で付けた。
が、
粗忽にもわたしは未聴である。アッチャ~!!
似ている「らしい」と言ったのはそういうわけで、
さっそく聴いてみます。
『東北を聴く――民謡の原点を訪ねて』(岩波新書)
の著者・佐々木幹郎さんにもお知らせしなければ!

・瑞々し浴びて嬉しい五月かな  野衾