世紀末的感情って

 

・梗塞と弛緩を経りし春の空

九鬼周造といえば『「いき」の構造』
岩波文庫に入っています。
九鬼さんは哲学者ですから、
「野暮」の反対の「いき」について
いかにも哲学者風の
いかめしい言辞を弄しているわけですが、
ご本人が生きておられたとして、
「弄している」なんて耳にしたら、
きっとかんかんになって怒ったかもしれません。
いや、笑ったかな。
九鬼さんは、
一九四一年(昭和十六)に京都で亡くなった、
そういう時代の人ですから、
時代が時代なので、
哲学書として書かざるを得なかったのかもしれない。
また、哲学書だからかえって売れたとか。
この人の筆力をもってすれば、
エッセイとして十分面白く書けただろうと想像されます。
今の時代なら、
きっとそうしたでしょう。
それはともかく。
「いき」という粋なテーマについて、
がちがちの言葉で論じるから、
なんとも言えない可笑し味が行間ににじみ、
笑えます。滑稽です。
この本にはさらに
「風流に関する一考察」と
「情緒の系図 歌を手引として」が
併録されていますが、
「情緒の系図」には何度か
思わず吹き出してしまいました。
この論考は、
新しく編まれた『新万葉集』から
百何十篇かを九鬼さんなりに択び、
分析を加えたもので、
その切り方と
大時代的な物言いが
可笑しさを噴出させます。
たとえば。
「「愛」の側では、消滅に対する「惜しい」という危機的感情があったが、
「憎」の側には、存続に対する「煩わしい」という世紀末的感情がある。」
ね。
この大げさ感!
危機的感情に世紀末的感情ですもん。
スゲーッて。
でもって、
その例として択んだ歌が
どういうのかといえば、
「古(ふ)り妻はいよいよ古りて
言ふことのあな煩(わずら)はし朝(あした)夕べに」
これが世紀末的感情。
川崎杜外さんの作。
この言辞とこの流れ、
笑わずにいられません。

・曇天下地平に花の点在す  野衾