次に読む本

 

・道塞ぎ一月のゴミ収集車

いま読んでいる本が全体の半ば近くになると、
次に読む本のことを考えます。
そのときどきの興味関心に従って読むわけですから、
ひょいひょいと、
あまり考えずに手に取ればいいようなものの、
歯の痛みが四方に散るように、
本への興味も
一つというわけには行きません。
振り返れば、
読んできた本の連なりは、
いわばこれまで経てきた精神の地図
みたいなものでしょうから、
そこから抜け出て読もうとすると、
なんとなく
気にそぐわず、
面白くない。
たまに面白い本だなあと思っても、
空に飛んでった風船みたいにそれっきり。
糸がつながらない。
かと思えば、
人から薦められたり
いただいた本で、
地図をさらに拡げたり、
奥行きを増したりするのに効あるものもあり、
そういうときは、
縁を感じて嬉しくなり、
不思議がりながら、
地図の展開を静かに視ています。

・空紫に一月の旭かな  野衾

秋田のハイデガー

 

・稿成りて窓外見遣る春隣

秋田では「痛い」ことを「イデ」といいます。
例えば「頭が痛い」は「アダマイデ」
「額が痛い」は「ナヂギイデ」
ナヂギは額、
ひたいのこと。
古語に【なづき】というのがあり、
脳・髄を指しますから、
おそらく「なづき」が訛って「ナヂギ」になったのでしょう。
「独鈷(とくこ)をもてなづきをつき砕き」と、
平家物語にでてくるそう。
愛用する佐伯梅友・馬淵和夫編の古語辞典に
ちゃんと書いてある。
独鈷は金属で出来ている仏具の一つで、
両端が尖っている。
方言はまさにことばの宝庫。
また、
秋田方言に濁点がよくつかわれることは、
つとに知られておりますが、
それは疑問を表わす「か?」にも当てはまり、
「か?」は多く「ガ?」になる。
「東京へ行ったことあるか?」は、
「東京サ行ッタゴドアルガ?」
「そうか?」は「ンダガ?」あるいは「ンダテガ?」
ところでこの「ガ?」ですが、
愛情や疑問の強度により
微妙に伸ばされることが間々あり、
上記の例の場合も、
「ンダガー?」「ンダテガー?」と、
すぐになり得る。
ここまで来ると、
秋田以外の方も
そろそろ想像がついたかもしれませんが、
「歯はだいじょうぶ?」「歯が痛いの?」「歯が痛いのか?」を、
秋田弁に翻訳すると、
「歯、イデガー?」ハイデガーとなる。
ドイツ生まれで、
『存在と時間』を著し二十世紀を代表する哲学者も、
秋田弁にかかれば、
歯、イデガー? だもの。
なんとも愉快。

・一日の終りおでんに酒がある  野衾

シンクロニシティ

 

・珈琲店コーヒーを待つ春隣

ただいま編集進行中の『西田哲学から聖霊神学へ』の著者、
小野寺功先生にインタビューを行いました。
なぜ哲学を志したのか、
それに連なる少年のころのエピソードが
とても面白く、
話し言葉でざっくばらんに語っていただきました。
また先生が若い頃、
故森信三氏から、
君の哲学を推し進めるには、
遠野物語と法華経を深く学ぶ必要がある
と示唆されたお話には正直びっくり。
遠野物語を学ぶべきというのは、
小野寺先生のご出身が岩手であることにもよるか
と思いますが、
問題は法華経。
お話を伺いながら、
思わず身を乗り出しました。
なぜならば、
この仕事とは全く別に、
法華経に関する本づくりが今始まったばかりだから。
『釈譜詳節』に次ぐ韓国語からの翻訳書で、
『法華経諺解(ほけきょうげんかい)』といいます。
名の示すとおり、
これは、
十五世紀に韓国語に訳された法華経とその解説書。
今回、世紀を超え
それを現代日本語に翻訳し
出版することになります。
訳者は河瀬幸夫先生。
森信三氏の洞察には驚かされますが、
もっと驚くのは、
法華経がこのところ
なぜか耳目に触れてくること。
先日も、
清水好子さんと瀬戸内寂聴さんの対談で
法華経が話題になっている箇所を読んだばかり。
人生は、
こういうことが、
けっこう起きます。

・公園の樹木の舞台や春隣  野衾

北島三郎

 

・冬の朝行ってきますのこゑ響く

秋田の実家のすぐそばに、
北島三郎が好きな叔父が居て、
どれぐらい好きかというと、
居間の鴨居に和服姿の北島三郎の大きな写真(サイン入り)が飾られている。
北島三郎の新しい歌が出ると、
いっしょうけんめい覚える。
歌詞カードを車のスピードメーターのところに置いて、
運転しながらでも歌ってゐる。
スピードはどんどん上がり、
違反にも気づかない。
叔父の前で
北島三郎の悪口は間違っても言えない。
絶対言えない。
わたしも北島三郎は好きなのだが、
好きで、
「風雪ながれ旅」「まつり」など、
カラオケで歌ったりもしたが、
後期の歌は、
人生いかに生くべきかの教訓的なフレーズが多く、
カラオケをやらなくなるとともに、
ほとんど聴かなくなった。
が。
初期の北島三郎の歌は違う。
教訓的でなく人生の儚さが一閃し、
きらきらと輝いている。
以前テレビで、
北島が紅白歌合戦に初出場したときの映像を観たことがあるが、
若鮎のことばが似合う風情、眼の輝きに目を瞠った。
これが北島三郎かと思った。
好きな映画『男はつらいよ』の第一作で、
御前様のお嬢さん冬子に惚れた車寅次郎が、
勘違いの恋に呆けて
鼻歌混じりに歌う歌が
北島三郎の初期の名作『喧嘩辰』(昭和三九年)だ。
「♪ 殺したいほど惚れてはいたが~ 指もふれずにわかれたぜ~、とくらぁ」
わかるなぁ。
これは『喧嘩辰』三番の歌詞の出だし。
♪ 殺したいほど惚れてはいたが~ 指もふれずにわかれたぜ~

・歳時記や手を滑り落つ寒四郎  野衾

女人源氏物語

 

・目覚めても痛みなき身の佳日かな

以前買って積読だったのですが、
源氏関連の書評を書く機会が与えられたのを機に読み始めたら、
面白いのなんの。
巻を措く能わずとはこのこと。
この本、
「源氏物語に登場する女性たちが語る」
という設定で書かれており、
元の話の骨組みは尊重しつつ、
肉付けはいかにも寂聴さんらしい。
何が一番ふるっているかというと、
光源氏が愛した女性たちは基本的に、
源氏と他の女性たちとの交渉を知っていただろうということ。
なぜそれが可能だったかといえば、
血縁関係でつくられた
女房たちのネットワークが張り巡らされていたから。
ここだけの話がここだけに終らないのが世の常。
するとどうなるか。
あっちでもこっちでも、
嫉妬嫉妬が大小のうずを巻き、
まさに
「嫉妬は恋のエネルギー源」
嫉妬あってこその恋なのだ。
ところで。
いろんな女性たちが口を開いて語るなか、
さすが寂聴さんと唸ったのは、
近江の君が語る章。
近江の君というのは、
内大臣(かつての頭中将)の隠し子。
琵琶湖のほとりでのびのび育った少女が貴族の世界に突然引き出され、
窮屈なお屋敷暮らしを始める。
原文でも、どの現代語訳、どの解説本でも、
寂聴さんの女人源氏ほどには書かれていない。
礼儀をわきまえぬぽっと出の
ただの田舎者ぐらいにしかこれまで思えなかった。
それがこの本では、
なんとも魅力的に描かれている。
しかも納得がいく。
田舎の自然の中で大らかに育ち、
大口開いて笑って暮らしていた少女にしてみれば、
連れてこられた世界は別世界。
地球から兎が餅をつく月にいきなり誘拐されてきたようなもの。
「おほほ…」と扇で口を隠し笑うなど、
初めからできぬ相談なのだ。
そんな境遇に押し込められた近江の君を、
寂聴さんは丁寧に描いてゆく。
あと二巻ありますから、
結論めいたことは控えなければなりませんが、
近江の君のこの章があることで、
これは傑作になったと思います。

・大寒やこれがピークと自らに  野衾

老い

 

・富士の嶺耳鳴り聴こゆ淑気かな

朝起きてから夜床につくまで、
いろいろな場面で
「老い」を感じることの多くなった今日この頃。
物忘れの多さは、
子供のころから人後に落ちぬ自信がありますから、
今さら何をかいわんや。
家を出るとき、
ドアをちゃんと閉めたかどうか心配になり
戻って確かめる、
なんてことはごくふつうの話で、
この頃は、
戻って確かめるところまでを
無意識にやるものですから、
さらに心配になり、
戻って確かめたことを確かめるために戻る、
なんてこともたま~にある。
いやはや。
先日、
家人が買ってくれた二つあるコーヒーカップのうちの
一つを割ってしまいました。
この日記を書き終えると、
サイフォンでコーヒーを淹れ、
朝の読書の時間となるわけですが、
そのときコーヒーカップを本棚の隅に置きます。
隅ですから、
ほんの僅かなスペースです。
落とすと割れるなと常々思って
注意してはいました。
そのすぐ横に小さな付箋と
シャープペンシルが置いてあり、
ときどき本に付箋を貼ったり書き込んだりします。
何の本を読んでいたときだったか、
最早忘れてしまいましたが、
何か書き込もうとし
シャープペンシルを持ち上げた瞬間、
先っぽが
コーヒーカップの縁に触れ、
あっ!!
床めがけてスローモーションで落ちてゆき、
グワッシャーン!!
ひとたまりもありません。
コーヒーは飲み終えていたのですが…。
家人が実家に帰っていたときでしたから、
すぐに電話し謝りました。
どの人もどの人も、
こういうことが重なって、
動作の前にその動作を意識するようになるのでしょう。
それが「老い」というものなのでしょう。
がしかし、
ここに落とし穴がある。
すべての動作の前に意識を置くことは不可能。
ゆっくり緩慢な動作をしていても、
意識せぬままのことは多い。
例えば歩くこと。
歩くとき、一歩、一歩に意識を置いていたら、
とてもじゃないが歩けない。
意識が疲れてしまいます。
だからわれ知らず、
フッと意識が飛んで、
転んだり、ぶつかったり、躓いたり…。
どこまで意識を張り巡らすことができるのか。
まさに意識と老いの駆け比べ。
さてこれから、
ゆっくりコーヒーを淹れることにします。

・ほくほくの肉じゃが食むや鯉の口  野衾

冒険野郎

 

・仕事でも聴けば安堵のしんぼうさん

Safari (サファリ)という雑誌があります。
男性ファッション雑誌で、
三十代~四十代いが大笑、いや対象じゃないでしょうか。
この雑誌を知ったのは、
靴を買いにABCマートに行った折でした。
サイズが合わず、
店員が在庫を調べに行ってくると告げ、
「よかったら、これを見ていてください」
と渡されたのが
Safariの靴特集の号でした。
ぱらぱらめくっていたら、
「へ~」「は~」で
それなりに面白く、
ページをめくる手を止めときどき読んだりしているうちに、
「お待たせしましたぁ」
サイズの合った靴をめでたく購入。
それはそれ。
それからSafariに興味を持ち、
出るたび三号ほどアマゾンで買いました。
だいたいいいかな、
という感じで、
このごろは買いません。
この雑誌でわたしが一番好きなのは、
特集の内容もさることながら、
雑誌のコンセプト、というかキャッチコピー。
「オフタイム活性化マガジン“いつまでたっても冒険野郎!”」
冒険野郎!
いつまでたっても。
なんども口ずさんでいるうちに、
独り大爆笑してしまいます。
だって。
冒険野郎だもん。
冒険野郎って。
いつまでたっても。
こう書いていても笑いがこみ上げてきます。
どう言ったらいいんでしょうねぇ。
昭和な感じ…
ヤング、ルンルンな感じ…
三浦雄一郎な感じ…
いや三浦雄一郎は冒険家であって野郎ではないな。
そうか。
そうな。
でも、
なんかこう、
俺ってビッグ、
俺ってグレイト、
俺ってバリバリか? みたいな。
いつまでたっても冒険野郎。
野郎だもんなぁ。
いいなぁ。好きだなぁ。

・さびさびはさむさむよりももっと寒  野衾