恐るべき無智

 

いわゆる理論などというものは、
ソクラテスのいう最も大切なものを忘れているのに、
あらゆることを解決し得るかのように自負している点で、
無智の最大なるものと呼ばれるであろう。
最良の理論は、
われわれの無智についての、
自覚と反省から生まれて来るものでなければならない。
神のみが智なのであって、
人間に許されているのは、むしろ愛智なのである。
われわれは
自他の言行を吟味しながら、何かそれらを根本において支配しているものが、
いつわりの善を信ずる恐るべき無智ではないかと、
絶えず目をさましていなければならない。
ソクラテスの問答は、
このような目的のためになされるのであって、
単なる概念定義のためになされているのではない。
(田中美知太郎『ソクラテス』岩波書店、1957年、p.179)

 

テレビを点けても、パソコンを立ち上げても、
たいへんなことが起きていると知らされ、
落ち着いて考えようとするのですが、
こころは勝手にざわざわと騒ぎはじめます。

 

・岩ぐくる水に聴き入る春の山  野衾

 

記憶を正す

 

昨日、子ども時代の思い出として、
『黒馬物語』のことをここに書きましたが、
それを読んだ弟からメールが届き、
その内容に驚きました。
わたしはあの本を、
学校の図書室から借りだしたものとばかり思いこんでいましたが、
弟が言うには、
その記憶はどうやら間違っていて、
あれはずっと家にあったもの、
わたしは読まなかったけれど、
弟は何度か読んだというのです。
だれが買ってくれたかまでは覚えていないようでしたが、
実際に読んだというのですから、
信憑性が高い。
親が買ってくれたのか、
弟が言うように、
叔父か叔母が買ってくれたのか、
また、
わたしが買ってもらったのか、
さいしょから弟に与えられたものであったのか、
今となっては深い霧のなか。
しかし、
言い訳めきますが、
霧に包まれた景色がぼんやりと、
やさしくのちのちまで印象に残るように、
ハッキリしないところのある記憶は、
思い出すごとに
こちらを包んでくれるようにも思います。
にしても。
そうか。
あれは、借りた本ではなかったか。

 

・たづねきて風光る藪中の滝  野衾

 

黒馬物語

 

小学校の三年生か四年生の時でしょうか、
縁側の板張りのスペースに子供用の机を置いてもらい、
そこがわたしの勉強部屋、
ということになっていました。
田舎の農家のこととて
個人の部屋という意識がありませんでしたから、
机のあるそのスペースがじぶんだけの隠れ家(隠れることはできなかったけど)
みたいでうれしかったのを覚えています。
その頃、
学校の図書室から『黒馬物語』という本を借りてきました。
なぜその本を借りたのか、
その理由をまったく思い出せません。
いま思うに、
家で馬を飼っていたからかもしれません。
ともかく、
借りてきた本を何日か机の上に置きはしたものの、
中を見ずに返したような気がします。
あれから半世紀が過ぎて、
どういうわけか
そのことが気になりだして調べたところ、
イギリスの女性作家アンナ・シュウエルというひとが書いた小説で、
彼女は生涯これのみを書いて亡くなりました。
いくつか出ていた翻訳は、
どれも今は絶版ですが、
買おうと思えば安く手に入ります。
興味本位でいったんは買って読もうか
とも思いましたが、
けっきょくいまのところ買っていません。
なんとなく。
べつにいまさらという気がしないでもない。
読んでそれなりに面白いのかもしれないけれど、
ただ、なんとなく。
同じ頃、
ファーブルの『昆虫記』を借りだして、
こちらは読んだ記憶があります。
とにもかくにも、
けっして本が好きな子ではありませんでした。

 

・藪を漕ぎたづぬる滝や風光る  野衾

 

編集者空海

 

こういう時期ですので、
なるべく家でおとなしくし、
ふだん読めないものを読もうと思い立ち、
以前購入していてつんどく状態だった
沙門空海の『文鏡秘府論』を読みはじめました。
空海は、
遣唐使として804年に唐に渡りますが、
二年後、帰国する折にいくつかの文献を日本にもたらしました。
そのなかから、
六朝時代から唐代にかけての創作理論をえらび
編纂したものが『文鏡秘府論』です。
これは、
その多くが彼の国の文献からの引用で、
空海の文章は、
天巻の総序と東巻、西巻に付された小序のみ。
おもしろいのは、
文献の編集の仕方で、
空海はあまたある文献を
天巻、地巻、東巻、南巻、西巻、北巻に整理し、まとめています。
解説者の興膳宏によれば、
曼荼羅を意識したものであろうとのこと。
こまかい理論はともかく、
詩文について、
六朝および唐の時代のひとびとがどんなふうに考えていたか
がしのばれ、
千二百年の時をゆっくり旅してあそぶ風情。
きのう読んだところに、
「詩はこころを寛(ゆる)ませる」
とあり、
合点がいきました。
興膳さんは、
吉川幸次郎の弟子筋にあたる方ですが、
興膳にとっての『文鏡秘府論』の語釈・解説は、
いわば、
吉川幸次郎の『杜甫詩注』にあたるかとも思われます。
筑摩書房からでているこの巻には、
『文鏡秘府論』を抄録要約した『文筆眼心抄』も入っていて便利。

 

・藪漕ぐや鳶の下なる滝の春  野衾

 

芸文井川

 

わたしのふるさと秋田県井川町では、
年に一回、土地のひとたちの文章をあつめた文芸誌を発行しています。
昨年、
発行元である協会の会長さんから連絡があり、
拙著『父のふるさと 秋田往来』『鰰』
から転載させてほしい
とのことでした。
それが掲載された第45号がきのう会社に届きました。
下の写真がそれです。
表紙絵は伊藤孝之助というひとが昭和39年に描いた「井川二十五景」から。
わたしはこの方を知りませんが、
描かれた絵から
その場所がどこか、
そこをどんな気持ちで歩いていたか、
すぐにこころに浮かんできます。
ページをひらくと、
詩、俳句、短歌、随筆、協会の活動を紹介する文章など、
土から芽吹く山菜のごとく、
ことばたちがきらきら輝いています。
地貌季語という考え方があるようですが、
土地から生まれ、
季節季節の貌(かお)ともいえることばがこの冊子には息づいています。

 

・春かぞへ田仕事はかる農夫かな  野衾

 

お灸ファン

 

徒然草第百四十八段

 

四十以後の人、身に灸を加へて、三里を焼かざれば、上気の事あり。
必ず灸すべし。

 

兼好法師も灸をすえていたのでしょう。
上気とは、
のぼせること。
三里は、『おくのほそ道』の序文にもでてくる、
鍼灸でいうところの有名なツボ。
代田文誌の『沢田流聞書 鍼灸眞髄』(医道の日本社、1941年)
のなかに、
鍼の名人木村金次郎氏の説として、
以下の文章が紹介されています。
「三里は胃、脾、腎にきく。故に三里という。
里は理に通ずる。即ち三理である。
三里に鍼すると委中のコワバリがとれ、膀胱がよくなる。
即ち三里は先天、後天の気を養う。
これを以て元気衰えず、故に長命の灸という。」(p.266)
これは、
盲目の鍼名人木村氏の説を、
沢田健が弟子の代田文誌に話したもの。
木村氏と沢田先生の親交は深かったらしい。
マスク、手洗いと併せ、
免疫力、自然治癒力を高めるために、
手軽なお灸はいかがでしょうか。
三里には、
手の三里と足の三里がありますが、
ツボの位置は、
ネットで調べればすぐにでてきます。

 

・春宵や滑りゆく無言のタクシー  野衾

 

きょうの一日

 

アリストテレスの『ニコマコス倫理学』を読みながら、
快楽について、欲望について、友愛について、徳について、幸福について、
いろいろと考えさせられました。
とても2400年も前に生まれた人の書いたものとは思えません。
たしかに、
奴隷についての見方など、
アリストテレスといえども、
その時代の価値観から逃れることはできなかった
わけですが、
しかし、
それもまた、
アリストテレスもわたしたちと同じ、
神でない人間であることの証であると静かに観想されます。
放射能と新型コロナウイルス、
どちらも目に見えず、
また、
こんな状況になっても
我欲としか思えぬ呆れる対策しか打ち出せない
リーダーたちの体たらくを目の当たりにし、
それだけではない、
人間という動物が本来持っているはずの高邁と崇高に
すこしでも触れながら、
きょうの一日を過ごしたい。

 

・忘れたき嘘もありけり春の虹  野衾