秋風は

 

夏は真っ盛りなのに、いや、真っ盛りだからこそかもわかりませんけれど、
こころは、はや秋をもとめていくようです。
古来、
日本人は秋の風を詠んできまして、
秋の風といえば、
季節と相まち、
寂しさや旅愁をさそうものでありました。
算えていませんが、
万葉集に秋風を詠った歌がけっこうあったはずです。
ところで同じ秋の風でも、
古今集になると、
季節の「秋」とともに、
人の心の状態を示す「飽き」が掛けて詠まれるようになります。
たとえば714番、

 

秋風に山の木の葉のうつろへば人の心もいかがとぞ思ふ

 

片桐洋一さんの通釈は、

秋風によって山の木の葉が色変わりして行くのを見ると、
「飽き風」によってあの人の心もどうなのだろうか、変わっているのだろうかと思うことです。

 

これ以外にも、
「秋」と「飽き」が掛けて詠まれている歌がいくつかあり、
こういうところからも、
平安時代の歌人たちのこころが偲ばれます。

 

・竜のかしら夏が車窓を過ぎゆく  野衾

 

聴くことは

 

苦しんでいる人と連帯するとは、
私たちが自分の苦しみについてその人と語り合うことではありません。
自分の傷について話したとしても、
苦しんでいる人にはほとんど助けになりません。
傷ついた癒し人とは、
自らの傷について語らずに、
苦しんでいる人に耳を傾けることの出来る人のことです。
つらい鬱状態をくぐり抜けてきた時、
私たちは自らの経験について触れることなく、
深い思いやりと愛をもって、
意気消沈している友人に耳を傾けることが出来ます。
たいていの場合、
苦しんでいる人の注意を私たちに向けないようにする方がよいでしょう。
包帯に隠された私たちの傷が、
私たちが全存在をもって人々に耳を傾けるのを可能にしてくれるようになること
を信じることが大切です。
それが癒しです。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.240)

 

うつ病を患ったとき、
もがき苦しみ、
ただただ、
はやくその状態から逃れたくて必死でした。
帰省した折に、
母が無言で黒糖飴を手渡してくれ、
それを頬張ったその味が忘れられません。
苦しい時間をなんとかくぐり抜けた
とはいっても、
その後とくに人との関係が変ったとの自覚はありません。
ただ、
『傷ついた癒し人』の著書もあるナウエンの言葉は、
なるほど、
そういうことはあるかもしれない、
と納得します。
また、
人の話に耳を傾ける、
それがこのごろは、
本に盛られた著者の声に耳を傾けることに繋がっているようです。

 

・岩手山背なに聳ゆる雲の峰  野衾

 

リスのサーカス

 

わたしが住んでいる山の上は、いろいろな生き物が多くいて、
飽きることがありません。
そのことについてたびたび書いてきましたけれど、
目にすると、いたく興奮してしまい、やっぱり書かずにいられない。
きのう、このブログを書いているときでした。
ゲクゲクゲク
と、聞き覚えのある声!
すぐに椅子を離れ窓のカーテンを開けると、いました。
台湾栗鼠が二匹すぐそばに。
電線と電柱をせわしなく動き回っています。
わたしの声に驚いたのか、家人が起き出してきました。
リスは、電柱を上下したり、電線を走るだけでなく、まるで軽業師の如く、
電線につかまり、くるりと一回転。
それから走って隣の電線にジャンプ一発!
いやはや。
その素早いこと素早いこと。
すっかり目が覚めた。

 

・夏帰郷まもなく発車いたします  野衾

 

ばあばでんわ

 

秋田への出張は、行きも帰りも新幹線。
お盆にはまだ間があり、六割から七割は空席でしたので、仕事とはいえ、
ゆっくり旅を楽しめた。
帰りの車中、
仙台からでしたか、
若い夫婦と小さい男の子が乗ってきました。三歳、いや二歳。
元気な男の子で、ちょっと五月蠅い。
文庫本を読むスピードが明らかに遅くなりました。
わたしの席はドアのすぐ近く。
うるさいなぁ。
なにを喚いているんだろう。
体をひねりそちらを見遣ると、
全身を海老ぞりにして母親の腕から逃れようと必死の態。
子どもの口から発せられる言葉は、
「ばあばでんわ」
さきほどから何度も何度も。
若い母親は、
「ここでは電話ができないのよ」
それでも子どもは、ばあばでんわ、ばあばでんわ、ばあばでんわ、ばあばでんわ、
際限がない。
途中から、ふと、何度繰り返すのだろう、
と、
ちょっと興味がわいて、
指を折った。
いち、にー、さん、し。
ん。
止んだ。
さいしょから数えるんだった。
かるく十回は超えたはず。
目を文庫本に戻ししばらくすると、今度は、
パパさんぽ。
パパさんぽ、パパさんぽ、パパさんぽ、パパさんぽ、パパさんぽ。
五回唱えたところで、
パパが子どもを連れデッキの方へ散歩に出かける。
すると、さらに、
デッキの方で、
パパおそと、パパおそと、パパおそと。
三度唱えたところで、パパは子どもを抱きあげ、子どもの体を外へ向けた。
だんだんおもしろくなってきた。
子に同化していくようで。
本を読んでる場合でない。
言葉を発すると、
親は、大人は、動く。
たのしいー!!

 

・夏の空百年のちの帰郷かな  野衾

 

帰省

 

この土曜日、日曜日、仕事の打ち合わせのため、一泊二日で秋田に行きました。
秋田弁なら、
「秋田さ行ぎました」
となります。
社の編集長は、みちのくの大学訪問のため、金曜日から。
秋田ということですので、
当初、
打ち合わせの後、わたしは実家へ、
とも考えましたが、
来月九十一歳になる父と、きのうで八十七歳になった母は、
夕刻五時を過ぎると固定電話のある居間から、
奥の寝室に移動するため、
わたしが実家に帰るとなれば、
気をつかわせることは目に見えていますから、
帰りたい気持ちを抑え、
わたしも結局、
編集長にたのみ、
秋田市内のホテルに泊まることにしました。
打ち合わせは順調に進み、
その後、
うち解けたなかでの会食となり、
わたしはアルコールを口にしませんけれど、
母校の先輩たちとの話を伺い、
大いに盛り上がり、
なんとも愉快なひとときでありました。
会場の外へ出たのは六時過ぎ。
まだ明るく、
なつかしい風景の角々をさわやかな風が撫でていましたけれど、
父も母も、
とっくに寝室へ移動している時刻ですので、
判断は間違っていなかったと思います。

 

・大曲まがり帰郷のこころかな  野衾

 

古今和歌集と紫式部

 

古今和歌集の694番は、

 

宮城野の本荒の小萩露を重み風を待つごと君をこそ待て

 

片桐洋一さんの通釈は、

 

宮城野の名物である本荒もとあらの小萩が、葉に置いている露が重いので堪えきれずに、
その露を落としてくれる風が吹くのを待っているように、
私はあなたをお待ちしていることです。

 

この歌に関し、
片桐さん、こんなことを書いています。

 

『源氏物語』桐壺の巻において、桐壺の帝が亡くなった更衣の母を弔問するとともに、
幼い光源氏を思いやって贈った、

宮城野の露吹き結ぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ

という歌は、あまりにも有名である。
「宮城野」「露」「風」「小萩」というように、
当該古今集歌のキーワードをすべて備えているとともに、
「宮城野」に宮中を、
「露」に帝の涙を、
「小萩」に光源氏の君を、
「風」に厳しいその人生の意を含ませているという、
まことにみごとな歌になり得ているのである。
(片桐洋一『古今和歌集全評釈(中)』講談社学術文庫、2019年、pp.712-714)

 

こういうところを読むと、
紫式部が古今和歌集をいかに読み込み、味わい、自家薬籠中のものにしていたか
が分かります。
古今和歌集に限らず、
中国古典もふくめ多くのものが流れ込み、
それが深く地下水となり、
豊かに『源氏物語』を育て浮かび上がらせたということでしょう。
それをひとつの作品に仕上げたところに、
紫式部の類まれな才能がありました。

 

・はたたがみ道来て道に迷ふかな  野衾

 

においについて

 

ちかごろ、においにつき、発見というと大げさですが、
個人的に気づいたことがありまして。
ひとつ目。
いつもの部屋で本を読んでいたときに、
家人が蓋の付いた陶器の容れ物をテーブルの上に置いていきました。
わたしはそのまま本を読みつづけていたのですが、
なにやらちょっと変な臭いがする気がした。
ん!?
もしや、
と気になったので、本を置いて台所へ行くと、
家人が「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
ほんのり香った匂いが、ガスの臭いに似ていたので、心配になって来てみたのですが、
ふつうに煮炊きしており、
ガスが漏れ出ているようなことはなかった。
???
はて。
もしや。
部屋にもどり、
テーブルの上の陶器の蓋を取ってみると、
塩らっきょう。
あ!
二度三度、
鼻を近づけてみたり遠ざけてみたり。
筋の見える塩らっきょうがあくまでも白く、きらきら輝いています。
なるほどなるほど。
食欲を刺激する季節の香の物ですが、
その匂いが空中にまかれ
薄くなると、
どうやらガスの臭いに近くなる、
わたしの嗅覚は、そのように感じたようです。
ふたつ目。
道で女性とすれ違うと、
ほのかに香水の匂いがするときがありますが、
このごろ幾度か、
ある匂いが鼻に止まり、
何かの臭いに似ている気がした。
なんだろうなんだろう、数日つらつら考えた。
きのう、ふたたびその匂いに遭遇し、
あ、
そうだ、カブトムシ!
って思いました。
子どものころ虫かごに容れ飼っていたカブトムシがありありと思い浮かんだ。
塩らっきょうもそうですが、
ある匂いが空中に散布され薄まると、
別の匂い、また臭いを、
きわめて個人的ではありますが、
まざまざと想起させることがあるようです。

 

・洗濯物しずか夏雲うごかず  野衾