記憶のとびら

 

興味があって、興味があるから、いろんな本を読むわけですが、
それが小説であれ、哲学の本であれ、
読んでいるうちに、
ふだん思い出すことのない記憶が不意によみがえることが間々あります。
そんなときは、
本のページを両手で押さえたまま、
眼をいったん本から離し、
よみがえった記憶にしばらく浸ります。
と。
本が好きか? と訊かれれば、
嫌いではないけれど、
「好きです」とシンプルに答えるのに、
ちょっと抵抗がある
というか、
もともと本好きな子どもではなかったし。
でも、
本を読んでいると、
読んでいることがきっかけとなって、
本を読まなかった頃の記憶までよみがえり、
そのことは、
ひょっとしたら、
そのことだけがわたしにとって意味があり、
だけでなく、
いまこの瞬間が立体的に立ち現れ、
それがめっぽう面白く、楽しく、うれしい。
その感覚を求めて読むのかな。
記憶のとびら。
どんどん開けていくうちに、
生まれる前の記憶にたどり着けるか…。
それはないか。

 

・あてどなく色を求めて探梅行  野衾

 

ひとり静か

 

年末から始めてこのところ休日出勤し、
だれもいない広い部屋で静かに仕事をすることが増え、
その味を覚えてきたせいか、
通常の勤務日において
「もうひと踏ん張り」の気持ちが薄くなってきました。
「がんばる」と「がんばらない」
の境い目はじぶんの感覚で分かりますから、
いまは、
がんばらない方を選びます。
ひとり静かな時間を見つけてする。
医者の勧めもあって、
アルコールをまったく口にしなくなったこととも
関係している気がします。
静かな時間の味わいは、祈りにも似て、
極上の酒の味がします。
なんて。
独りを慎むという言葉もあり、
ひとり静かの時間は、音楽も要りません。

 

・聊斎の書を閉づ夢の探梅行  野衾

 

まず、そういうごど

 

新型コロナの感染者の数が高止まりしていることもあり、
心配をかけないために、
だいたい一日おきに秋田に電話をします。
コロナの前から、
年齢のこともあってか、
とくに父のことばの端端に電話を待っている
様子がうかがえたので、
特段の用向きがなくても、
なるべく電話をかけるようにしている。
用向きがないので、
「天気、なとだあ?」「朝ごはん食べだがあ?」「変ったごどないがあ?」
その三つが決まり文句。
わたしからされる質問が毎度のことなので、
父もそれなりに答えを用意しているのか、
短く的確。
たとえば「去年、屋根のペンキを塗ってもらったせいで、
屋根に積もった雪が全部落ち、雪下ろしの必要がない。
落ちた雪を除雪車で飛ばすだけでよい」
答えが的確だと、
会話はあっという間に終る。
それで最後に父は、
「まず、そういうごど」と、必ず言う。
これがなんだか面白い。
どういうふうなニュアンスかといえば、
おそらく、
「細かく話せばいろいろいろいろ、あるにはあるが、
概略をかいつまんで、要点だけを取り出せば、いま言ったことになる」
といった感じでしょうか。
ただいま5時40分。
きょうは秋田に電話する日。
7時20分になったら電話をします。
最後は、
「まず、そういうごど」

 

・休日の仕事場窓に寒雀  野衾

 

ビブーティ

 

かつてインドにサイババという偉い(?)指導者がいました。
霊的指導者として、
世界的に注目を集め、
学校をつくったり、病院をつくったり。
日本でもブームになり、
たぶんその頃だったでしょう、
わたしもテレビで動く姿を見たことがあります。
アフロヘアで頭がデカく、
ひとを外見で判断してはいけませんが、
一目見た瞬間、
え!
この人そんなに偉い人なの?
って思いました。
群衆の前に立ち、
手のひらを下にしてニ三度振ってから返すと、
あ~らら、
なんと手のひらに白い粉が出現。
聖なる灰ビブーティ
なるもので、
おもしろがって見ていた気がします。
わたしはただ面白半分に見ていただけで、
それ以上のことはありませんでしたが、
ビブーティの正体は、運動会で白線を引く時に使う消石灰とのことでした。
なので、
何もないところから物質を出現させるのは、
やはり無理で、
ビブーティはいかさまだった
ということになります。
が、
このごろ休日出勤してひとり静かにゲラを読んでいると、
本づくりはあのビブーティに似ている、
と、
ふと感じます。
学問も含め、
アイディア、構想、思想は、
さいしょ頭の中にあって形を成していません。
それが、
一定の時間を経て、
書物の形を成して出現する。
燃やせば灰か。
聖なる灰…
なんだか、ゆっくり現れたビブーティ!
そんな気がしてきました。

 

・騒がしき一日収む寒夜かな  野衾

 

歯ブラシは

 

外から体内に取り入れるものの入口にあって、
食べ物を噛み砕き咀嚼するのが歯
ですから、
それをながく健康に保つための歯ブラシは、
極めてだいじなアイテムでありまして。
いろいろ試してきましたが、
いまは、
奈良県にあるというエビス株式会社が提供する、
ザ・プレミアムケアのやわらかめ、
に落ち着いています。
近所のドラッグストアで初めて見たとき、
エビスさんには悪いけど、
なんだか不格好だな
と思いました。
が、
つかってみるととても具合がよく、
また、
歯を磨くだけでなく、
歯茎をブラッシングするように意識すると、
歯磨きを終えた後、
歯茎が生き生き血行が良くなった気がしてなんとも気分爽快。
下の写真は、
「やわらかめ」を買うつもりが、
まちがえて買った「ふつう」サイズ。

 

・静黙の日の重なるや春隣  野衾

 

『狂気』

 

ピンク・風呂インド、
いや、ピンク・フロイドが1973年に作ったアルバムで、
原題は、
The Dark Side of the Moon
世界で5000万枚以上を売り上げたといいますから、
驚きます。
もう半世紀近く前になるんですね。
むかしレコードで持っていてよく聴きました。
いまはCD。
ほんの時たま、
聴くことがあります。
アマゾンで本のレビューを見ていたら、
おもしろい文章があったので、
その人が、ほかにどんなものを読み、
どんな感想を持っているのだろうと興味が湧き、
順番に見ていくと、
ピンク・風呂インド、
いや、ピンク・フロイドの『狂気』を取り上げており、
星が一つ。
レビュアーさん曰く、
要するに古い、
と。
レビューの文体から察するに、
若い方かと想像されます。
それにしても★一つとは。
言われてみれば、
たしかにうなずけるところがあり、
時代が変ったんだなあと思うことしきり。
『狂気』もそうですが、
当時流行ったプログレッシブロックなるものは、
ピンク・風呂インド、
いや、ピンク・フロイドをはじめ、
キング・クリムゾン、イエスにしても、
いま聴くと、
ちょっと、
いや、かなり大げさな感じがしてしまいます。
あの頃は、
人生の深奥の音のように聴いていたのに。
我がことを含め、
変れば変るものです。

 

・春待つやピアノの家の起きてをり  野衾

 

読む山日記

 

春風社を起こして約半年後にこのブログを始めました。
「港町横濱よもやま日記」
いま22期目ですから、
21年つづいたことになります。
朝起きて歯をみがき、
センブリを煎じたものを薄めた水を一杯飲んで、
それからパソコンに向かいます。
前日あったことを思い起こし、
じぶんのアタマを整理し、
ひとさまに読んでもらえる文章を練る。
書き終えたころ、
向かいの丘は、
やうやう白くなりゆき。
新しい一日の始まり。
このことをじぶんに課してきましたが、
あらためて、
ひとは言葉でつながることを意識しています。
話し言葉が基本だとは思いますが、
あたりまえのことながら、
話し言葉と書き言葉、
別のものではない気がします。
たとえば、
白川静、諸橋徹次、吉川幸次郎の文章を読んでいると、
この方たちの語りが
なんとなく想像できます。
おそらく、
漢文によって鍛えられた言葉のセンスによって、
精神まで磨かれていたのではないか。
文を読み、
言葉を吟味して綴ることにより、
汚魂を洗い、
ダメなじぶんを鍛えたい。
ある時点で折り返すという考え方もありますが、
年を取ったせいもあるでしょうけれど、
人生は折り返さないのではないか、
という気がしています。
一方向へ向かう。
死んでも勉強という新井奥邃の考えの方が、
わたしには好ましく感じられます。
お読みいただいている皆様、
読んでくださり、
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。

 

・丘の家春を奏でるピアノかな  野衾