聊斎志異の女性たち

 

『聊斎志異』は、中国、清の時代の怪異短編小説集で、
作者は蒲松齢(1640-1715年)。
柴田天馬の訳で読んでみたいと思い、
修道社から昭和30年に発行された『定本 聊齋志異』全6巻を
古書で求めていたのをやっと読みはじめました。
が、
これのどこがおもしろいの?
と、
悩ましいものもありまして。
かと思えば、
スッキリハッキリ、
おもしろいのは、めっぽう面白く。
とくに恋愛、結婚譚で、
ああ、たしかに魅力的な女性だなぁと思って読んでいると、
だいたい、いや、ほとんど、いや、ほぼほぼ、
人間の女性でなく、
狐でありまして。
美人であることはもちろん、
情に厚く、可愛げがあり、
涙ぐましいほど真実で。
一方、
生身の人間の女性はといえば、
人間に変身した狐の女性に比べると、
影が薄い。
こちらはそれほど魅力的に描かれていない。
巻が進むうちに、
じぶんのこれまでの半生で出会った素敵な女性は、
あのひとたちはみんな、
ひょっとしたら、
狐?
ふと、そんな想像をしてみたくなります。
それはともかく、
63篇もある狐の変身譚には、
作者である蒲松齢の女性観、人生観が如実に表れている気がします。

 

・鍼灸院出でて二声寒烏  野衾

 

ビバークの日々

 

松本大洋おススメの『神々の山嶺』を
年末一気に読みました。
「山嶺」と書いて「いただき」と読ませています。
夢枕獏の原作を谷口ジローが漫画化したもの。
登山家の羽生丈二が、
エベレストの南西壁を冬、無酸素で単独登頂に挑むという
過酷極まる物語。
登山用語で露営、野宿をビバークといいますが、
冬山でひとり蓑虫のように釣り下がって時を過ごす描写は、
実体験のない者にまで、
刻一刻の重さがひしひしと伝わってきました。
わたしがするのはハイキングぐらいで、
登山というレベルのものは実際にしたことがありませんけれど、
『神々の山嶺』は、
山に登る精神、
とでもいったものを見せてくれるようです。
山頂から見える光景をひたすら夢見、
体力の限界、頭脳の限界をもって山嶺に向かう。
頂上から見える光景が鏡となって映しだされるのは、
まだ見たことのない、
これまで知ることのなかった自分の姿かもしれない。
そんなことを感じながら読み進めているうちに、
ハッと気づいたことがありました。
いまのわたしたちの置かれている状況は、
ゴツゴツとした冬山の山頂近くでビバークする登山家の場所、
に似ているのではないか。
いままで体験したことのない時間のなか、
ときに窮屈な思いをしながら
ひっそりと過ごすしかありませんが、
ここでいろいろ考えたことが、
やがて清々しい光景につながり、
それが鏡となって、
これまで見えなかったものが見えてくる、
そんな時が来るような気がし、
またそう願いたい。

 

・暁闇の何の予兆か初烏  野衾

 

見える会社、見えない会社

 

第一五三項 見える教会のどの部分においても誤謬が可能であり、
したがって、誤謬が何らかの仕方で現実的であるように、
どの部分においてもまた真理の矯正力は欠けていない。
(F・シュライアマハー、
安酸敏眞[訳]『キリスト教信仰』教文館、2020年、p.977)

 

この箇所を読み、すぐに、
ラファエロ描く『アテネの学堂』のプラトンの姿を連想しました。
見える教会と見えない教会を対比し論じるところに、
プラトンの著作に親しみ、
プラトンのドイツ語版を上梓したシュライアマハー
の面目躍如、
という気もします。
教会でなく会社はどうか。
見える会社はどの部分においても、誤謬を犯し得る。
しかし、志において間違いがなければ、
真理の矯正力は欠けていないと信じたい。

 

・寒風や帰郷の山の正しかり  野衾

 

自発性について

 

弊社は、昨年12月30日から今月5日までが冬季休業でしたが、
帰省しないことでもあるし、
担当している本の仕事をすこし進めたいと考え、
大晦日と年が明けた2日に出勤。
沈黙の声さえ聴こえてきそうな
静まり返った社内で、
ひとりゲラの照合をしました。
仕事が捗ってきたので、
パット・メセニー&チャーリー・ヘイデンの
Beyond The Missouri Sky
をBGMにして。
順調順調。
と、
14時半。
15時ちょっと前でしたか、
編集者のYさんが入ってきて、
「三浦さん、出ていたんですか」
「はい。担当のものを少し進めたいと思って…」
それからは、
ふたりただ黙々とじぶんの仕事を。
そのとき、わたしは思いました。
これでいい、と。
わたしが知らないだけで、
Yさん以外にも出社する人がいるだろうし、
休み期間中も、
在宅で仕事をしている人がいる
かもしれない。
会社の雰囲気が、いつの間にか、
そういう風になったのがうれしく、
これも一朝一夕のことではないなぁと。
自発性は教えられません。
だれかから習った覚えもありません。
与えられたものをこなすなかで、
面白さをじぶんで発見するしかない。
WANIMAの歌『やってみよう』
の始まりに、
「正しいより楽しい 正しいより面白い」
とありますが、
自発性を発揮することで、
面白く正しい仕事が身についてくる
のだと信じます。
若い社員に、
社の弱いところは修正、また補強し、
いいところを受けついでいってもらいたいと願います。

 

・一日をここまでと為し寒の月  野衾

 

吹雪のこと

 

二十年ぶり、いや、それ以上かな、
久しぶりに故郷に帰らず、ここ横浜で静かに過ごしました。
秋田に電話をし、
「きょうだば、朝がら、ふぶいでるど」
と父から告げられると、
目の前に、
黒く迫ってくる圧倒的な吹雪の波が浮かびます。
大好きだった祖父は、
2001年5月29日、九十八歳でこの世を去りましたが、
祖父から吹雪にまつわるこんなエピソードを聞いたことがあります。
祖父がまだ若かったころ、
とても賢い馬を飼ったことがあったそうです。
自慢の馬だったのでしょう。
動物好きの祖父は、
主人の言うことをよく聞き、指示に従い、
また主人のこころをよく分かるその馬をたいそう気に入っていた。
あるとき、
用事があって馬に乗り遠出をしての帰るさ、
一天にわかにかき曇り、
やがて猛烈な吹雪になった。
祖父は、
まさに人馬一体となって帰路に就いた。
すると、
道を確かめ確かめ進んでいるのに、
また同じ辻に出てしまう。
まちがえたと思って、
こころを落ち着かせ進むと、
またまた同じ辻に出てしまう。
あの賢い馬が家への道をまちがえる筈は無いのに、
と思ったら、
恐ろしくなった。
あれは……、
というような思い出話で、
わたしも聞いていてゾッとした。
人を寄せ付けない吹雪もまた故郷のだいじな景色です。

弊社は今日が仕事始め。
本年もよろしくお願い申し上げます。

 

・仕事始め前日の緊張感  野衾

 

林竹二さんのこと

 

仙台藩出身のキリスト者・新井奥邃(あらい・おうすい)
を知ったのは、
学生時代、
林竹二の『田中正造の生涯』を読んだのがきっかけでした。
また、
林さんの本を読んでいなければ、
ひょっとしたら教師になることも、なかった
かもしれません。
それぐらい、
当時、林さんに、
林さんの書くものに夢中になっていた気がします。
林さんは、若いときにキリスト教に接近し、
日本基督荒町教会の牧師・角田桂嶽に導かれ、洗礼を受けるほどに、
角田に親炙していました。
それがのちにアリストテレスの研究を皮切りに、
プラトンにおけるソクラテスの研究に舵を切りました。
林さんは、
1985年4月1日に亡くなります。
享年78。
墓碑銘は無根樹。
晩年、角田桂嶽について問われると、
穏やかな笑顔で答えられた、というエピソードを、
日向康さんの本で知りました。
林竹二さんのいわば天路歴程、精神の遍歴を考えるとき、
いつもこのことが引っかかっていました。
キリスト教からアリストテレス、プラトン、ソクラテスへ。
ずっと抱えてきた問いですが、
その解決の鍵が、
このたび初の全訳が刊行されたシュライアマハー『キリスト教信仰』
に潜んでいる気がし、
読み始めたところです。
訳者は安酸敏眞(やすかた・としまさ)さん。
シュライアマハーは改革派の牧師の家に生まれ、
自らものちに牧師となった人ですが、
神学者でもあり、
また、
プラトンの全集を初めてドイツ語に訳した人でもありました。
林さんのこころが何を視ていたのか、
何を視ようとしていたのか、
そのことを考えるためにも、
シュライアマハーを読み込みたいと思います。

弊社は、明日30日(水)より2021年1月5日(火)まで、
冬季休業とさせていただきます。
1月6日(火)より通常営業。
よろしくお願い申し上げます。

 

・人まばら銀杏落葉の賑はひよ  野衾

 

白川さんの遺言

 

『字統』『字訓』『字通』の字書三部作を放った白川静さんが、
亡くなる寸前まで執筆していた字書が、
今年九月に刊行されました。
それが『漢字の体系』
字書の古典といえば、
中国後漢の時代に著された許慎の『説文解字』がつとに有名で、
どの漢和辞典を見ても
『説文解字』に触れていない辞書はありません。
ところが白川さんに言わせると、
『説文解字』はじつに誤りが多い。
それには大きく二つの理由があって、
一つは、
「文字成立当時の資料である甲骨文・金文が地下に埋蔵されたままであった」
こと。
もう一つは、
「漢代の学者には、文化史的な時代の推移を洞察することはできなかった。
人情は古今同じとする考えがあって、
今を以て古を解することの誤りに気づかなかった。
「天地人三才を貫く者は王」とする考え方は、
漢代の天人合一を背景とする解釈で、
古代の王は、ひたすらに天帝に仕えるものであった。」
字書巻頭にある「本書の編集について」から引用しました。
とくに白川さんが、
『説文解字』は誤りが多いことの理由に挙げた二つ目は、
これまでの字書でもたびたび触れられていましたが、
ここにはっきりと記されており、
本文の一文字一文字の説明においても、
説文解字の解釈と白川さんの解釈が並べて記述されています。
このことを踏まえて、
文字を根本からとらえなおす必要がありそうです。
白川さんの遺書として
『漢字の体系』を読みたいと思います。

 

・雪の朝弟と立つ空の峰  野衾