わたしの叔母にM子(きのう書いたM子とは別の)がいました。
嫁いだ先が秋田県昭和町山田にありまして、
あとから知ったのですが、
そこは、
秋田の二宮尊徳といわれた農聖・石川理紀之助ゆかりの地でもあります。
理紀之助さんは、
弘化2年(1845年)2月25日、
秋田市金足小泉の農家、奈良周喜治の三男として生まれ、
21歳のとき、潟上市昭和町豊川山田の石川長十郎の養子となったことが、
ネットでしらべれば、すぐにでてきます。
わたしの祖父は理紀之助さんが好きで、
子どものわたしに話して聞かせることもありましたから、
尋ねたことはなかったけど、
むすめM子の結婚を考えるとき、
祖父のあたまに、結婚の相手が理紀之助さんゆかりの地の人か、
の認識が少なからずはたらいていたのではないか、
と想像します。
それはともかく、
子どものころ、弟といっしょに何度か、おばさんの家に遊びにいきました。
同じ歳ごろのいとこもいました。
バスで羽後飯塚駅まで行き、そこから汽車で大久保駅へ。
そこで降りて、
てくてく歩いていった記憶があります。
けっこうな距離でした。
おばさんの家に着き、いとことすぐ近くの高台で遊んだりもしましたが、
それよりなにより、
はっきりと記憶に残っているのは、
おばさんが作ってくれた赤茶色をしたご飯です。
鶏肉も入っていました。
なんと美味しかったことか。
はじめて口にする味。
こんな美味しいものが世の中にあるのかと驚きました。
赤茶色がケチャップの色、
なんてことは、当時思い及びもしません。
こころ根のやさしい人でしたが、
病気で割と早くに亡くなりました。
・紫陽花や古民家裏の狭き庭 野衾