タヌキ御殿山!?

 

先週の土曜日、休日出勤の帰宅時でしたが、家の近くの階段を上りながら、
立ち止まり、ふと横を見ると、
タヌキが二匹。
一匹ならこれまで何度も見ているので、
さほど驚かないのですが、二匹でしたから目を剥いた。
と。
板敷居の下の破れたところからまた一匹。
さらにつづいてまた一匹。
あわせて四匹。
わたしのテンションはもはや爆上がり!!
あとから家の人が現れたので、
「タヌキが四匹もいるじゃないですか」
「そうなの」
「すごいですね」
「そう」
「猫の餌を食べに来るんですかね?」
「そうなのよ」
「は~。野生のタヌキを四匹も、こんな間近で見るなんて初めてですよ。
秋田の田舎でもありませんでしたから」
「そうですか。ほんと困っちゃうわ」
というようなことがありまして、
一日の疲れが一気に吹っ飛んだ。
会話しているときのわたしの声がよほど大きかったのか、
途中、
階段を下りてきた男女のカップルが、
くすくす笑いながら、
私の横をすり抜けていきました。

 

・時報打つ祖父の肋《あばら》の端居かな  野衾

 

前嶋信次と玄奘三蔵

 

アラビア語原典からの翻訳で名高い前嶋信次さんの文章を読む機会が多くなり、
なんとも言えない味わいがあって好きなものですから、
これを機に、
六巻までで止めていた『アラビアン・ナイト』のつづきを、
七巻目から、あらためて読み始めました。
ながいながい物語は、
わたし自身のブランクなど、
ものともせずに、
滔々と流れていくようであります。
『アラビアン・ナイト』原典からの翻訳は、
前嶋さん晩年の最大の仕事であったはずですが、
完結まで至らずにお亡くなりになりました。
その仕事を継いで終わらせたのが池田修さんでした。
さて、
その前嶋さんの著作に『玄奘三蔵 史実西遊記』があります。
前嶋さん48歳のときの仕事です。
その末尾は、
玄奘三蔵を語りつつ、
その人物と人生への敬仰はもとより、
自身の決意を吐露しているように思われ胸に迫るものがあります。

 

墓に土をかけ終ったときが忘却の初めであると云う。
しかし、それは玄奘法師の場合にはあてはまらなかった。
六年たって總章二年(六六八)の四月八日に、
高宗皇帝は勅して、その遺骨を長安の南三十里にある樊川の北原に改葬し、
塔を建てて祀った。
もとの白鹿原はあまりに長安に近く、
巡行のときしばしばその墓畔を過ぎるため、
高僧の生前を偲んで哀傷に堪えられぬからと云う理由であった。
やがて高宗も世を去り、
そのかみの佛光王が帝位に登ると玄奘に「大遍覺」と云う諡オクリナをささげた。
ささげた帝も、その母である則天武后も次々に世を去り、
玄宗皇帝の開元天寶の時代を經て肅宗の時となると「興敎」と云う塔額を贈った。
彼の譯出した多くの經典は廣く東方に行われ、
わが國にも多數が舶載された。
そして譯經界に一つの時期を劃したのである。
その經を讀まぬものにも、
その人の事蹟は慕われ、懷しまれた。
いまではほとんど全世界の人々に親まれている。
ことにわが國にはその遺骨までが移されている由である。
その人がらのかぐわしさ、つよさ、きよらかさが
このささやかな書にも影をおとさんことを。
(前嶋信次『玄奘三蔵 史実西遊記』岩波新書、1952年、p.187)

 

・山路来て甘酒二人茶店かな  野衾

 

秋風は

 

夏は真っ盛りなのに、いや、真っ盛りだからこそかもわかりませんけれど、
こころは、はや秋をもとめていくようです。
古来、
日本人は秋の風を詠んできまして、
秋の風といえば、
季節と相まち、
寂しさや旅愁をさそうものでありました。
算えていませんが、
万葉集に秋風を詠った歌がけっこうあったはずです。
ところで同じ秋の風でも、
古今集になると、
季節の「秋」とともに、
人の心の状態を示す「飽き」が掛けて詠まれるようになります。
たとえば714番、

 

秋風に山の木の葉のうつろへば人の心もいかがとぞ思ふ

 

片桐洋一さんの通釈は、

秋風によって山の木の葉が色変わりして行くのを見ると、
「飽き風」によってあの人の心もどうなのだろうか、変わっているのだろうかと思うことです。

 

これ以外にも、
「秋」と「飽き」が掛けて詠まれている歌がいくつかあり、
こういうところからも、
平安時代の歌人たちのこころが偲ばれます。

 

・竜のかしら夏が車窓を過ぎゆく  野衾

 

聴くことは

 

苦しんでいる人と連帯するとは、
私たちが自分の苦しみについてその人と語り合うことではありません。
自分の傷について話したとしても、
苦しんでいる人にはほとんど助けになりません。
傷ついた癒し人とは、
自らの傷について語らずに、
苦しんでいる人に耳を傾けることの出来る人のことです。
つらい鬱状態をくぐり抜けてきた時、
私たちは自らの経験について触れることなく、
深い思いやりと愛をもって、
意気消沈している友人に耳を傾けることが出来ます。
たいていの場合、
苦しんでいる人の注意を私たちに向けないようにする方がよいでしょう。
包帯に隠された私たちの傷が、
私たちが全存在をもって人々に耳を傾けるのを可能にしてくれるようになること
を信じることが大切です。
それが癒しです。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.240)

 

うつ病を患ったとき、
もがき苦しみ、
ただただ、
はやくその状態から逃れたくて必死でした。
帰省した折に、
母が無言で黒糖飴を手渡してくれ、
それを頬張ったその味が忘れられません。
苦しい時間をなんとかくぐり抜けた
とはいっても、
その後とくに人との関係が変ったとの自覚はありません。
ただ、
『傷ついた癒し人』の著書もあるナウエンの言葉は、
なるほど、
そういうことはあるかもしれない、
と納得します。
また、
人の話に耳を傾ける、
それがこのごろは、
本に盛られた著者の声に耳を傾けることに繋がっているようです。

 

・岩手山背なに聳ゆる雲の峰  野衾

 

リスのサーカス

 

わたしが住んでいる山の上は、いろいろな生き物が多くいて、
飽きることがありません。
そのことについてたびたび書いてきましたけれど、
目にすると、いたく興奮してしまい、やっぱり書かずにいられない。
きのう、このブログを書いているときでした。
ゲクゲクゲク
と、聞き覚えのある声!
すぐに椅子を離れ窓のカーテンを開けると、いました。
台湾栗鼠が二匹すぐそばに。
電線と電柱をせわしなく動き回っています。
わたしの声に驚いたのか、家人が起き出してきました。
リスは、電柱を上下したり、電線を走るだけでなく、まるで軽業師の如く、
電線につかまり、くるりと一回転。
それから走って隣の電線にジャンプ一発!
いやはや。
その素早いこと素早いこと。
すっかり目が覚めた。

 

・夏帰郷まもなく発車いたします  野衾

 

ばあばでんわ

 

秋田への出張は、行きも帰りも新幹線。
お盆にはまだ間があり、六割から七割は空席でしたので、仕事とはいえ、
ゆっくり旅を楽しめた。
帰りの車中、
仙台からでしたか、
若い夫婦と小さい男の子が乗ってきました。三歳、いや二歳。
元気な男の子で、ちょっと五月蠅い。
文庫本を読むスピードが明らかに遅くなりました。
わたしの席はドアのすぐ近く。
うるさいなぁ。
なにを喚いているんだろう。
体をひねりそちらを見遣ると、
全身を海老ぞりにして母親の腕から逃れようと必死の態。
子どもの口から発せられる言葉は、
「ばあばでんわ」
さきほどから何度も何度も。
若い母親は、
「ここでは電話ができないのよ」
それでも子どもは、ばあばでんわ、ばあばでんわ、ばあばでんわ、ばあばでんわ、
際限がない。
途中から、ふと、何度繰り返すのだろう、
と、
ちょっと興味がわいて、
指を折った。
いち、にー、さん、し。
ん。
止んだ。
さいしょから数えるんだった。
かるく十回は超えたはず。
目を文庫本に戻ししばらくすると、今度は、
パパさんぽ。
パパさんぽ、パパさんぽ、パパさんぽ、パパさんぽ、パパさんぽ。
五回唱えたところで、
パパが子どもを連れデッキの方へ散歩に出かける。
すると、さらに、
デッキの方で、
パパおそと、パパおそと、パパおそと。
三度唱えたところで、パパは子どもを抱きあげ、子どもの体を外へ向けた。
だんだんおもしろくなってきた。
子に同化していくようで。
本を読んでる場合でない。
言葉を発すると、
親は、大人は、動く。
たのしいー!!

 

・夏の空百年のちの帰郷かな  野衾

 

帰省

 

この土曜日、日曜日、仕事の打ち合わせのため、一泊二日で秋田に行きました。
秋田弁なら、
「秋田さ行ぎました」
となります。
社の編集長は、みちのくの大学訪問のため、金曜日から。
秋田ということですので、
当初、
打ち合わせの後、わたしは実家へ、
とも考えましたが、
来月九十一歳になる父と、きのうで八十七歳になった母は、
夕刻五時を過ぎると固定電話のある居間から、
奥の寝室に移動するため、
わたしが実家に帰るとなれば、
気をつかわせることは目に見えていますから、
帰りたい気持ちを抑え、
わたしも結局、
編集長にたのみ、
秋田市内のホテルに泊まることにしました。
打ち合わせは順調に進み、
その後、
うち解けたなかでの会食となり、
わたしはアルコールを口にしませんけれど、
母校の先輩たちとの話を伺い、
大いに盛り上がり、
なんとも愉快なひとときでありました。
会場の外へ出たのは六時過ぎ。
まだ明るく、
なつかしい風景の角々をさわやかな風が撫でていましたけれど、
父も母も、
とっくに寝室へ移動している時刻ですので、
判断は間違っていなかったと思います。

 

・大曲まがり帰郷のこころかな  野衾