楽はいやす

 

楽のもとの字は樂ですが、この字の由来について、白川静さんの説は、
つぎのようであります。

 

歌舞には、楽器がつきものであった。楽の本字は樂。
神楽かぐら舞いのときもつ鈴の形である。
小鈴をつけ、手に持って、舞踊や所作に合わせて振るのである。
楽は神を楽しませるものであった。
楽の音は神の霊をよび出し、邪霊を祓うためのものであった。
神に供える犠牲についても、清めのために歌舞を加えた。
(『白川静著作集 1 漢字Ⅰ』平凡社、1999年、p.128)

楽には邪霊を祓う力があり、病気もこれでなおすことができるとされていた。
治療の療は、古くは疒《やまいだれ》に樂をかいた形であった。
[詩経]の陳風ちんぷう[衡門こうもん]に「樂飢らくき」という語がある。
隠者が世に隠れていることを歌う詩で、
飢渇きかつにも憂えぬ意とされているが、
飢は欲望の不充足、楽は療の意でいやすこと、詩は水辺のデートを歌うものである。
(同上)

 

『白川静著作集』第一巻の冒頭に収録されているのは、
かつて、白川さんが還暦の年に岩波新書から刊行された『漢字』。
当時その衝撃度はいかばかりであったかと、
想像するに余りあります。
先日、
『秋田魁新報』で作家の内館牧子さんが、老齢の母堂を病院に訪ねた折の記事がありました。
そこに、
軽快な秋田民謡を内館さんが歌うと、
お母さまがとても喜ばれたエピソードが記されていました。
歌の本質が端的に表れていると思ったものですが、
音楽の楽のもとが樂であることを知ると、
なおいっそう、
秋田弁でいうところの「うだッコ」の力を考えずにはいられません。

 

・夏深き草のかをりの青きかな  野衾