聴くことは

 

苦しんでいる人と連帯するとは、
私たちが自分の苦しみについてその人と語り合うことではありません。
自分の傷について話したとしても、
苦しんでいる人にはほとんど助けになりません。
傷ついた癒し人とは、
自らの傷について語らずに、
苦しんでいる人に耳を傾けることの出来る人のことです。
つらい鬱状態をくぐり抜けてきた時、
私たちは自らの経験について触れることなく、
深い思いやりと愛をもって、
意気消沈している友人に耳を傾けることが出来ます。
たいていの場合、
苦しんでいる人の注意を私たちに向けないようにする方がよいでしょう。
包帯に隠された私たちの傷が、
私たちが全存在をもって人々に耳を傾けるのを可能にしてくれるようになること
を信じることが大切です。
それが癒しです。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.240)

 

うつ病を患ったとき、
もがき苦しみ、
ただただ、
はやくその状態から逃れたくて必死でした。
帰省した折に、
母が無言で黒糖飴を手渡してくれ、
それを頬張ったその味が忘れられません。
苦しい時間をなんとかくぐり抜けた
とはいっても、
その後とくに人との関係が変ったとの自覚はありません。
ただ、
『傷ついた癒し人』の著書もあるナウエンの言葉は、
なるほど、
そういうことはあるかもしれない、
と納得します。
また、
人の話に耳を傾ける、
それがこのごろは、
本に盛られた著者の声に耳を傾けることに繋がっているようです。

 

・岩手山背なに聳ゆる雲の峰  野衾