「人間にとって」ということは人間が真理を理解する上にということです。
また同時に人間が真理を生活する上にということです。
真理を生活することをはなれて真理の理解はありません。
真理の生活をすることを離れて理解しようとすると、
机上の空論に終り死んだ知識になる。
結局どちらの理解のしかたがわれわれの生活のために必要であるか。
正しく生活するためにどちらが必要であるか
によって判断を立てることが一番適当であるように私は考える。
何もわれわれの必要のために真理を学ぶのではありません。
そういう功利主義的な見方から真理を学ぶのではありませんが、
しかし生活に役に立たないような真理は
これは真理でない
と言わなければなりません。
真理を実践的に――生活的に把握することが大切なのです。
(矢内原忠雄『土曜学校講義第六巻 ダンテ神曲Ⅱ 煉獄篇』みすず書房、
1969年、p.415)
矢内原忠雄の面目躍如といったところでしょうか。
口吻が伝わってくるようです。
新井奥邃のことばに、
「言語を以て学びたる者の能く深造自得せし者創世より未だ之れあらざるなり。」
があります。
深造自得とは、
奥深く極めつくして、みずから体得すること。
造は至ること。
矢内原の言に引きつけて読めば、
生活することによって能く真理を深造自得せよ、
ということになりそうです。
・何となく心急くなり冬支度 野衾