根のある人

 

われわれ人間は、二つの世界の間の放浪者である。
この世界では故郷を喪失し、あの世界ではまだ定着する家をもたない。
しかしまさにこのような放浪者として、
われわれはキリストにおいて神の子なのである。
われわれの生の秘密は、まさに神の秘密である。
神によって突き動かされて、われわれはため息をつき、
みずからを恥じ、恐れ、死ななければならない。
神によって突き動かされて、
われわれは喜び、勇気をもち、希望をいだき、生きることが許される。
神は根源である
(エーバーハルト・ブッシュ[著]/小川圭治[訳]『カール・バルトの生涯』
新教出版社、1989年、pp.173-174)

 

新井奥邃(あらい おうすい)に師事し、
奥邃が亡くなるまで身の周りの世話をしたひとに、
秋田出身の中村千代松がいましたが、
彼はジャーナリストとして、また政治家として活躍し、
著名な人々とのつきあいも少なくなかった
ようですが、
かれが書いた文章の中に、
偉い人もいたし、見てきたけれど、
奥邃先生に敵うひとは一人もいない、なぜなら、先生は根のある人だから、
というような文言がでてきます。
生きる上での根、とは何か。
『カール・バルトの生涯』の引用箇所から、
すぐに木公(もっこう)中村千代松の言葉を思い出しました。

 

・鶯の声の生まれて降りにけり  野衾