不屈の快活さを身に纏う

 

クエンティン・スキナーの
『近代政治思想の基礎――ルネッサンス、宗教改革の時代』のつぎに、
さらに浩瀚な『レンブラントの目』を読んでいましたら、
その注に、
1999年3月にコロンビア大学トリリング・セミナーの「古代の笑い」講座で
クエンティン・スキナーが示した17世紀および古代の笑い論への謝辞
があり、
これだから、学術書の注は侮れないと思いました。
『レンブラントの目』の著者と
『近代政治思想の基礎』の著者が、
「笑い」に関する考察においてつながるとは。
レンブラントの晩年の絵に『自画像。デモクリトスとしての』
があります。
天才レンブラント晩年は、大きな借金をかかえ、
親しかった人たちが離れていき、
決して幸福とはいえないものでしたが、
それでも彼は挫けない。
レンブラントは、まさに、稀代の挫けぬ男
なのでした。
挫けぬこころ、挫けぬ快活さが肝要なことにおいては、
いまも共通のようです。

 

・ながむれば埃の揺るる冬日かな  野衾

 

誤嚥

 

固形のものを食べては、いまのところありませんが、
飲み物を飲んだとき、
気管支のほうへ流れ込んでしまい、
ゲホゲホ咽ることがたまにありまして、
気を付けるようにしつつ、
歳だな~と嘆いていたところ、
タイミングよく、
NHKの健康番組で誤嚥に関し、
特集していました。
誤嚥の大きな原因として、ふだんの姿勢が挙げられる
とのことで、
腑に落ちるところがありました。
左の鎖骨を骨折してからいろいろと不調に見舞われましたが、
おかげさまでこの頃は、
あまり気にすることがなくなっていました。
ひとつ気がかりなのは、
季節が関係するのか、
左の肩甲骨が凝るような感じがし、
それをかばうというか、凝りの痛みを避けるために、
ついつい猫背になっていたこと。
家人から何度か注意されました。
NHKの番組に出ていた先生いわく、
猫背がよくない。
猫背の姿勢になると、
食道のほうへ至る口が閉ざされ気味になり、
飲食物がどうしても気管のほうへ流れ込んでしまう。
猫背を直すことが大事である云云。
そうか。
なるほど。
ということで、
きのうは一日背筋を伸ばして暮らしました。
そうしたら、
たしかにノドの辺りが気のせいか、
なんだかひろびろ爽快な感じがいたします。
反面、
一日中背筋を伸ばしていたので、
背中が凝った。
バカだ。
なにごともやり過ぎは良くないようです。

 

・並びをる刺身パツクの寒さかな  野衾

 

よほど痛かった!?

 

ドレッシングがなくなりましたので、
帰宅途中、
保土ヶ谷駅近くのスーパーマーケットに寄りました。
ドアが開き、わき目もふらず、まっすぐ調味料のコーナーへ向かおうとしたとき、
けっこうな量のかさねた籠を外から持ってきた店員が、
さっさか歩いて店内にある籠といっしょにしようと放ったとき、
手の指が、籠と籠のあいだに挟まったのか、
ちいさくイテ! と発し、
挟んだ手を思いっきり二度、三度と振りました。
笑ってはいけないと思いつつ、
笑ってしまった。
しばし立ち止まり、考えました。
手の指をぶつけたり、なにかに挟んだりしたとき、手を振るのはなぜだろう?
振ると痛みがとれるのか?
じぶんのことを振り返っても、
そうするような気がする…。
ふむ?
ほかの客の邪魔になってもいけないので、
とりあえず目的の場所まで歩き、
てきとうなドレッシングを手に取り、
レジでお金を払って外へ出ようとしましたら、
籠を片付けていた先ほどの店員が、
何ごともなかったかのごとく、
仕事をつづけていました。
店を出ようとするわたしに向かい
「ありがとうございました」
わたしは、ぺこり頭を下げ、店を離れました。
もう少し若ければ、
おそらく、
彼女に向かい、
「さっきは、そうとう痛かったでしょうね」
とかなんとか、
声をかけていたように思います。
声をかけなくなって老年。

 

・吾よりも皆偉く見ゆ秋の暮  野衾

 

自画像は!?

 

ジョルジョ・アガンベンの『書斎の自画像』を
おもしろく読んだことが影響しているかもしれません。
自画像。じがぞう。
いま読んでいる『レンブラントの目』のなかで、
レンブラントが、
若いころからたびたび自画像を描いていた
ことに著者のサイモン・シャーマは触れています。
わたしはといえば。
小学校・中学校で描かされた以外、絵を描いたことがありませんし、
ましてじぶんを描いたことなどありません。
自画像について考えをめぐらすこともしてきませんでした。
自画像。
想像するだけですが、
不思議な気がします。
鏡を見ながら描いているのか?
と思いきや、
そういうことでもなく。
鏡を見ながら描く人がいてもいいわけですが。
だいたい鏡は、
右と左が逆になりますから、
それはたとえていえば、
西から上って東へ沈むお日様を描くようなもの(かな?)
真のじぶんの姿を現実に見ることは、
どんな天才でも叶いません。
レンブラントは、
いろいろな姿の自画像を描いています。
乞食姿の自画像まで。
見ることが叶わぬじぶんを描くという行為に、どんな意味があるのでしょう。
すぐに答えは見つかりそうもありませんけれど、
洋の東西を問わず、
画家が自身をどう描いてきたのか、
興味が湧いてきました。
自画像に関する本が何冊かでているようです。

 

・昼下がり現れ消えぬ冬の蝶  野衾

 

レンブラントの本

 

オランダ出身のカトリックの司祭でヘンリ・ナウエンという人がいる
ことを知ったのは、
会社近くにあるキリスト教書店でもらったPR誌
がきっかけでした。
どなたが書いた文章か、
すっかり忘れてしまいましたが、
その文章をきっかけにして、
ナウエンの書いたものを読んでいくなかで、
『放蕩息子の帰還─―父の家に立ち返る物語』に出合いました。
装画は、レンブラントの同タイトルのもの。
ナウエンは、
この絵がことのほか好きだったらしく、
わたしの記憶が間違いでなければ、
たしかこの絵の複製を自室に飾っていたのではなかったかと思います。
レンブラントへの興味が湧き、
サイモン・シャーマの『レンブラントの目』を読んでいたら、
こんな箇所があり、合点がいきました。

 

生涯を通してレンブラントの仕事は
強烈な文学愛、画像に劣らぬ文章への入れこみを特徴としている。
たしかにルーベンスとは対照的に、
雅びな人文学教養をこれ見よがしに見せつけたり、
ラテン語の詩をひねりだしたり、
手紙にウェルギリウスを薬味として引くといった芸は見せない。
一六五六年、
破産処理の裁判のために彼の財産目録がつくられたが、
立派な蔵書といった項目はなかった。
仮にそうだとしても、
同時代にレンブラント以上の本狂い、というかもっと正確に言えば聖書狂いの画家など、
いはすまい。
書物の重み、というか本の文字通りの重量、装丁、留金、資質、印字、
そして含まれた物語にここまであからさまに入れあげた画家は、
絶対にいない。
その本棚に本がないとしても、
その絵や版画のいずこにも本のない所がない。
(サイモン・シャーマ[著]/高山宏[訳]『レンブラントの目』
河出書房新社、2009年、p.213)

 

・毬栗の毬削ぎ落とす鎌の峰  野衾

 

 

じぶんだけの決めごとに過ぎませんが、
このブログには、散文の下に俳句一句と写真が一枚付いています。
たまにぽけーとしながら、
読むでもなく、
なんとなく、スクロールするときがありまして、
でてくる写真を見ながら、
気が付いたことがありました。
たいそうなことでなく、
被写体を仮に数か月単位で分類した場合、
ある傾向があるような。
やたらに花の写真がつづく時期。
テーブルクロスの上の水玉など、ごく身近にあるもの。
街のちょっとした風景。
空と雲。
このごろは、雲が多い。
夏から秋にかけての雲は、いろいろに変化しますから、見ていて楽しく、
ついスマホを空に向けることになります。
千変万化する雲の姿は、朝に、昼に、夕に、
目とこころを楽しませてくれます。
きのうは、
内科の定期検診の結果を聞きに行く日でした。

 

・石礫もて狙ひをり丹波栗  野衾

 

歴史はつながっている

 

まえに書いたことですが、
今回のコロナのことがなければ、
2009年に弊社が出版したクエンティン・スキナーの『近代政治思想の基礎』
を改めて読むことはなかったと思います。
スキナーの本の副題は、
「ルネッサンス・宗教改革の時代」となっており、
以後の世界史において、
ふたつのエポックがいかに駆動力になったかが分かりました。
モンテスキュー、ルソーに影響を与えたジョン・ロックの政治思想に、
急進的カルヴィニズムが響いている
ことが重層的に論じられており、
スリリングな歴史のダイナミズムを感じます。
また、
この本を読みながら、
ルネッサンス、宗教改革の時代の「きのう」「きょう」を生きた人びとは、
「いま起きている」ことが、
これからつづいていく長い歴史の礎をなすとは考えなかった
のでは?
ということ。
多くの人がそうだったのではないでしょうか。
ヤーコプ・ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』
を訳した新井靖一さんは、
後記のなかで、つぎのように語っています。

 

「再生」という意味の「ルネサンス」(Renaissance)という言葉
(イタリア語のリナシタrinascita)は、
ヴァザーリの『美術家列伝』において初めて意識的に使われたものであり、
その後フランスの歴史家ジュール・ミシュレが
『フランス史』第七巻「ルネサンス」(一八五五年)において、
十六世紀のヨーロッパをそのような時代として捉えたことに由来している。
ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』において初めて
ルネサンスという呼称は特にイタリアと結びつけられ、
十四―十六世紀における歴史的現象を
人類史上の一つの特記すべき発展段階と捉えるものとなった。
(ヤーコプ・ブルクハルト[著]/新井靖一[訳]『イタリア・ルネサンスの文化』
筑摩書房、2007年、p.676)

 

歴史は、つながっていて、
にんげんは、喉元を過ぎれば忘れてしまいがちですが、
歴史のほうは、重要な事象をけっして忘れず、
歴史の名に値する理法をにんげんに示してくれるようです。

 

・靴底を手にして開く栗の毬  野衾