89歳の父と85歳の母との会話をちかくで聴いていると、
まるで喧嘩しているように思えます。
互いに大声で話し、
好きなテレビの音も大音量。
先週、
ふるさとの学校で講演した際、
町の人びとも聴きに来てくれまして、
父と母がそこに居ました。
せっかく来ている父と母にも聴いてもらいたくて、
マスクはしながらではありましたが、
マイクをつかって、
できるだけ滑舌よく、
大きな声で、
ゆっくり話しました。
家に帰ってからそのことを父に尋ねると、
たしかに声はよく聴こえていた。
しかし、
話の中身までは聴き取れなかった。
そう言われましたので、
要点をかいつまんで耳のそばで伝えました。
耳が遠くなるということは、
耳だけのことではなく、
コミュニケーション全般にかかわることであることを、
こんかい目の当たりにした次第。
父がこのごろ電話を欲しがる意味も分かった。
電話だと、
ふつうに話して、
ことばの意味がよく相手に伝わる。
ことばがふつうに行き交う。
音でなく、
ことばの意味が理解できるということが、
一日の暮らしの上でいかに大事か。
いまは、いい補聴器があるのかもしれませんが、
補聴器と電話では、
直のコミュニケーションにおいて、
どうやら微妙に意味が違っているようです。
・儀式めく卓に六つや寒卵 野衾