丘の上から階段を下り、踊り場で方向を変え、下を見ると、
一匹の猫と二羽の烏がいた。
にんげんであれば、
さしずめ階段の途中で世間話に興じている、
といった風情。
わたしはしずかに階段を下りていった。
二メートルほどに近づいたとき、
一羽の烏が飛びのいて、傍の木に移動した。
猫はうずくまったまま、後ろ脚の付け根の辺りを舐めている。
もう一羽の烏は、
鉢植えの花をよく置いてある家のブロック塀の上にいて、
わたしが横を歩いても飛びのく風でもなく、
カッカッカッと、
首を数回小刻みにかたむけた。
そばで見る烏は、大げさでなく、鶏ほどの大きさに見える。
羽は黒々と光っている。
視線を階段に戻し、ゆっくり、そろり、
階段を一段、二段、三段、
と、
バサバサッ。
な、な、な、???
大きな黒い邪な力が帽子にさわった。
烏!
からかうようにして頭上を飛び去ったかと思いきや、
すぐ下の、アパートの屋根に止まった。
あやうく帽子を掠め取られるところだった。
帽子をかぶっていなかったら、
想像するだに、恐ろしくなった。
何ごともなかったかのように、烏はジッとこちらを見ている。

 

・鼻唄も母との旅を秋の朝  野衾

 

謙について

 

初六。謙謙。君子用渉大川。吉。
(初六、謙謙す。君子用(も)つて大川を渉る。吉。)
象曰。謙謙君子。卑以自牧也。
(象に曰く、謙謙する君子は、卑にして以て自ら牧(やしな)ふなり。)

『初六。謙謙。君子用渉大川。吉。』
周易には、乾乾・謙謙・夬(くわい)夬・坎坎など
二字重ねてあることがしばしば出て居るが、
これ等は、さうした上にもさうするといふ意味である。
謙謙とは、
へり下る上にもヘリ下るという意味である。
(公田連太郎[述]『易經講話 二』明徳出版社、1958年、p.142)

 

むかしの日本人は、中国の古典をよく勉強していたようで、
キリスト者・新井奥邃もその一人。
奥邃の文章には「謙」の文字がよく登場します。
墨蹟に「謙虚」の文字があり、
暮らした学舎の名前は「謙和舎」でした。
奥邃がいかに「謙」の文字、またそのこころを大事にしていたかが分かります。
易のこの箇所を読み、すぐに奥邃の文を思い出しました。
ここにはまた「渉」の文字が使われています。
空間の移動を表す「わたる」は、
「渡り鳥」のようにふつう「渡」を用いますが、
ここでは「渉」。
さんずいに「歩く」で、渉る。わたる。
大きい川を渉る。
公田連太郎はこの箇所の解説に、つぎのように記しています。
「君子は、このヘリ下る上にも又ヘリ下る徳を用ひて、大なる川を渉り、
即ち険阻艱難なる場処を乗り越すのであり、
吉にして福(さいはひ)を得られるのである。」
ことは君子に限らないでしょう。
「徳を身につける」のでなく、
「徳を用ひて」というのがおもしろい。
険阻艱難を乗り切るのに、謙謙、徹底的にヘリ下ることが肝要
というのは、
きわめて戦略的、実際的、生活的であると感じます。

 

・逆光の暈に突き入る飛蝗かな  野衾

 

技あり

 

暴走族っても、淋しがりやが多いわけ。
あいつら、ひとりずつだったら根性小さいのばっかりよ。やさしいコなのよ。
それを、こういう社会の中で、さわらぬ神にたたりなしってやるから、
よけいグレちゃうのよ。
グレるってこと、どういうことか知ってる?
うん、はぐれるってことなんだ。
群れから離れる。はぐれる淋しさ。のけもの。
先に道がないんだ。
ところが、
いまの確立した社会では、その社会の動きを邪魔する行為をグレるっていう。
ほんとは違うんだ、はぐれるなんだよ。
はぐれてんのは、本人が望んでるわけじゃないんだよ。
ますますはぐれるところへ、自分で自分を追いこんでいる。
まわりがそうさすから……。
まわりが、電気暗くしちゃうから。
ますますはぐれる。もっと逃避したくなる。
(矢沢永吉『矢沢永吉激論集 成り上がり』角川文庫、1980年、pp.279-280)

 

出川哲朗がバイブルだという矢沢永吉の『成り上がり』、
おもしろく読みました。
角川文庫になる前、
1978年に小学館から単行本で出たらしく、
当時矢沢は二十代後半。
インタビュアー、編集の糸井重里は矢沢より年齢一つ上。
ふたりとも二十代。
二十代でこういう仕事をしていたかと思うと、
ちょっと信じられないぐらいです。
矢沢の口調を生かした編集になっていると感じますが、
当然のことながら、
実際の語りそのものではないはず。
しかし、
読み進めていると、
まるで矢沢が目の前で熱く語っているよう。
語りが熱してくる場面では、助詞がけっこう省かれて、
そこだけ取り出して引用したら、
何を言っているのか理解しづらいのでは、と危ぶまれるぐらいに。
ところが、
読んでいく過程ではちゃんと理解が及ぶ。
そういう編集の技を二十代で会得していたのかと舌を巻きます。

 

・鴇色に揺るるともなし薄かな  野衾

 

更新時講習

 

運転免許証の更新手続きのため、保土ヶ谷警察へ。
五年ぶりになります。
更新時講習として15分間のビデオ上映と15分間の講師による講話。
ビデオは、ひょっとして五年前のものと同じか、
と思いきや、
そうではありませんでした。
事故動画の説明をする方が、映像の中で、凡そこんなことを語っていました。
ひとつのことに集中すると全体が見えなくなり、
全体をまんべんなく見ようとすると、
ひとつひとつのことは疎かになるのが人間です。
矛盾を回避するためには、
同時に行うのは無理だから、
ここではこれを、つぎにはこれを、と、
注意すべきところを決め、
時間をずらしながら集中することが重要です、云々。
実際的な訓えであると感じ、
こと自動車の運転だけではないと思いました。

 

・店までの鼻唄ひとつあらばしり  野衾

 

郭、郊、野

 

城の外を郭と曰ひ、郭の外を郊と曰ひ、郊の外を野と曰ふ。
周の制度では、
国都を去ること五十里以内を近郊と曰ひ、
百里以内を遠郊と曰ふ。郊とは即ち是れである。
野といふは、
郊よりも一層外である。
彖に「人に同じくするに野に于てす」といふは、
遠い曠い野に居る人とまでも協同一致するといふ意味に用ひてある。
(公田連太郎[述]『易經講話 二』明徳出版社、1958年、pp.93-94)

 

漢字はおもしろい。
一字でちゃんと意味があり、きっちり区別がある。
郭、郊、野。
弊社は、二十周年の記念誌『春風と野』をつくりましたが、
易の言葉の説明からいっても、
亨るタイトルであったと安心し、
意を強くしました。

 

・靴音や港横濱秋深し  野衾

 

空のこと

 

高校の一年生と三年生の時の担任が同じで、
たしか武藤先生とおっしゃいました。
小柄で物静かな国語の先生、わたしは陸上競技部に所属していましたから、
武藤先生の語り口調は、
耳に心地よく、子守歌のようでもあり、
授業中よく居眠りをしました。
とくに注意されることはなかったと思います。
一年生のときだったか、
三年生のときだったか、
目を覚ましているときに、教科書に出てきた「空」の話をされた。
空というのは、何もないことではない、
無というのともちがう、
そんなことをぽつぽつと語りながら、
ほんのしばらくでしたが、
視線を宙に据えていたのを覚えています。
言葉で説明するのはなかなかに難しいという風でもあり、
はたまた、
ご自身の過去を思い出している風にも見えました。
ともかく、
空というのは、どうやら、
中身のない「から」ではなく、
実のあるものらしいということだけは、
ぼんやりと感じました。
さて、公田連太郎の『易經講話』ですが、
そのなかにおもしろい文章がありました。
「私(エゴ)」の有る無しのちがいによる認識のありかたについて、
公田さんの考えを吐露した箇所で、
そこを読みながら、
高校時代のあの空間と時間が
にんじゃりばんばん、鮮やかに、
よみがえりました。

 

中が空虚であるのは、一点の私の心が無いのであり、即ち誠実である。
中が充実して居るのは、誠が中に充実して居るのであり、即ち誠実である。
一点の私の心の無い方面から、空虚なる者を誠とするのである。
内容が充実して居る方面から、充実したる者を誠とするのである。
両方の極端は一致するのである。
程子(伊川先生)は、
「中(うち)虚なるは信の本なり、中(うち)実するは信の質なり」
と曰つて居られる。善い格言である。
(公田連太郎[述]『易經講話 一』明徳出版社、1958年、pp.560-561)

 

・磴一段一段毎の紅葉かな  野衾

 

ハナコの岡部大

 

このごろテレビでよく目にするハナコの岡部大さん。
わたしは観ていませんが、
NHK連続テレビ小説『エール』にも出演し、
ますますブレイクしているような。
さて。
今ほどでなく、もう少し前に、
たまにテレビで見るぐらいの時だったと思いますが、
「あれ、この人、どこかで見たことあるぞ」
と「?」がもたげ、
いつだ? どこだ? なにで?
こんなふうに感じたことがありました。
しばらく悶々としていたのですが、
ピカッと閃くところがあり、
調べてみたら、やっぱりそうでした。
前置きが長くなりました。
わたしが通った高校の同窓会誌というのが年に二回発行されていて、
それに、岡部さんの文章が載っていたのでした。
顔写真も付いていた。
そうか。そうだったか。スッキリ!
同じ高校の卒業生となると、
ますます意識して見るようになり、
岡部がんばれ! と、エールを送っているきょうこの頃。

 

・秋澄むや鳥行き丘は葉の揺るる  野衾