内村鑑三の好きな花

 

きょうで九月も終わり、明日からは十月。
猛暑酷暑がつづいた夏がようやく終わり、日に日に秋めいてきました。
夕刻、外では虫たちがいい声を聴かせてくれます。
ふと、
内村鑑三の言葉を思い出しました。
秋の花では、紫リンドウが好きだという。
ひげの写真が印象ぶかく、
写真だけでなく、
文章からも厳めしい感じを受けもしますが、
紫リンドウについて書かれた文章から、
人事に疲れた内村が、
紫リンドウの花を見てどれだけ慰められたかを思わずにはいられません。

 

・ながむればうつろひにけり秋の空  野衾

 

ゲーテさん、納得!

 

「へえ、」とゲーテは笑いながらいった、
「恋愛と知性がなにか関係でもあるというのかね? われわれが若い女性を愛するのは、
知性のためではなく、別のもののためさ。
美しさや、若々しさや、いじわるさや、人なつっこさや、個性、欠点、気まぐれ、
その他一切の言いようのないものをわれわれは愛しはするが、
彼女の知性を愛するわけではないよ。
彼女の知能が光っていれば、われわれはそれを尊敬しよう。
またそれによって娘はわれわれにとって無限に尊く見えるかもしれない。
またすでに恋に陥っているなら、知性は二人を引きつけておくのに役立つかもしれない。
けれども、知性は、
われわれを夢中にし、情熱を目覚ます力のあるものではないのだよ。」
(エッカーマン[著]/山下肇[訳]『ゲーテとの対話(下)』岩波文庫、1969年、p.39)

 

さすが、齢70を過ぎ、18歳の少女に恋したゲーテの面目躍如。
美しさや若々しさを愛するというのであれば、
ふつうの話でしょうけれど、
いじわるさや欠点や気まぐれを愛するというのは、
経験が言わしめる言葉なのでしょう。
ちなみに上の引用文の7行目「尊敬しよう」には、訳文に傍点が付されています。

 

・陰を連れ只管に行く秋の雲  野衾

 

こんな夢

 

川べりに小さな工場があって、わたしはそこで働いています。
昼の休憩時間になり、
土手の上を歩いているとき、
祖父が自転車に乗って遠くからやって来ます。
自転車をこぐ脚の両ひざが外に開いて、ひし形のように見えます。
キキッという音とともに自転車が停まりました。
歩きながら、
すこしだけ祖父と話しました。
最後に、
早く帰って来いよ。
うん。
祖父は勢いよく自転車に乗って、もと来た道を引きかえしていきます。
舗装されていない道をふらふらしながらこいでいましたが、
バス道路に入る手前で、
祖父は一度自転車から降りました。
しばらく自転車を押して歩き、
バス道路に上がったところでふたたび自転車に乗りました。
理由は分かりませんが、
わたしは、なんだか、
すこし後悔し始めていました。
午後の始業のベルが鳴っています。

 

・金風や狐も居たり遥かの野  野衾

 

鳥になる!?

 

ユングの『結合の神秘 錬金術に見られる心の諸対立の分離と結合』
(池田紘一訳、人文書院、1995年)の原注の数がものすごい。
上巻の本文が324ページなのに対し、
原注が144ページを費やしている。
1ページ読むのに、
指を挟んだ巻末ページの原注を何度見ることか。
ははー、
こういうことであったか、
と、
ふと気づきました。
下巻の巻末「訳者あとがき」だったか
と思いますが、
本文はいわば木の幹と枝で、注は葉である、と。
ユングがそう言ったのだったかもしれません。
付箋を貼っておけばよかったのですが、
いますぐにこのページと指し示すことができません。
スッと読み飛ばした言葉でしたが、
この本を読む営みは、
一本の木の枝と葉を往ったり来たりの頻繁な繰り返しで、
まさに、
鳥になった気分。
はなれて眺めればそれは一本の木であって。
長田弘の詩集に『人はかつて樹だった』
がありますが、
ユングのこの本を読んでいると、
人は今も樹である、の気分になります。

 

・珈琲を一口ごとの秋深し  野衾

 

『坂道のアポロン』

 

ボーナス・トラックの一冊も含め全十冊。
おもしろかったあ!
四連休の間、夢中になって読みました。
漫画にハマったのは、『ザ・ワールド・イズ・マイン』以来かな。
1960年代、舞台は長崎佐世保、
転校生・西見薫とこころ根のやさしいワルな少年・川渕千太郎の関係を軸に、
恋あり、失恋あり、次第に明かされるルーツ、そして挫折、また希望。
ほんでもって、ハッピー、ハッピーエンディング。
物語をけん引するエンジンはジャズ。
西見はピアノ、川渕はドラム。
だいじな場面で西見と川渕のセッションが始まる。
思いがけず、文化祭で演奏することになったピアノ演奏のカッコよさったら。
知ってるジャズのレコードがいっぱい出てくるし。
堪能しました。
そうだよなあ、レコードだったなあ。
CDではなかった。
でも、
これ読んでいると、
どうしても聴きたくなり、
つぎつぎ好きなジャズをかけてました、
CDだけど。
なんどか目頭が熱くなった
ものの、
下っ腹にグッと力を入れ、こらえました。
家人に顔を見られたくなかったので。

 

・身に入むや利休鼠の空の下  野衾

 

肩井

 

肩井の穴とういのは、
眼科疾患にいろいろと応用して効果のあるもので、補助的に活用するとよい。
この場合の肩井の取穴は、
患者の肘を胴から離さないようにぴたりとつけて
手を肩に当てて中指先端のとどくところに取る。
これで眼に効く肩井穴が出てくる。
(深谷伊三郎『名灸穴の研究』刊々堂出版社、1978年、p.122)

 

深谷伊三郎の名は、お灸の世界ではつとに有名ですが、
これまで深谷の本を読んだことがありませんでした。
このたび、
世話になっている鍼灸の先生から教えてもらい、
古書で求め、読みはじめたら
なかなかにおもしろく、
説明も具体的でわかりやすい。
深谷は、
肺結核で五年間病臥したそうですが、お灸によってそれが劇的に回復したとのこと。
じぶんの体験が物を言って書かれた本というのは、
共通の迫力があります。
ちなみに、
深谷伊三郎の孫は落語家の立川志らく。
肩という字に、井戸の井、と書いて「けんせい」

 

・秋嶺や土中深々真つ直ぐの根  野衾

 

人間の本性

 

人間の本性に基づく知的好奇心と欲望に根ざす科学・技術は今後も
目覚ましい発展を続け、
誰もそれを止めることはできないであろう。
はたして人類は経済成長と大量消費に依存する文明から脱却して、
科学・技術の進歩に見合う新しい文明を構築して直面する問題を解決し、
輝かしい未来に到達できるであろうか。
21世紀はまさに正念場であろう。
化学が物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさも含めて、
人類の幸福な将来に貢献できることを祈りたい。
(廣田襄『現代化学史――原子・分子の科学の発展』
京都大学学術出版会、2013年、p.670)

 

この本が出版されたのは、いまから七年前、
新型コロナはまだこの世に存在していませんでした。
しかし、
化学史に関するこの本は、
いまの世界の状況を的確に予言し、
人間の営みの根源を指し示しています。
浩瀚な本を読み終えたいま、
よくも悪しくも、
人間の本性ということを思わずにはいられません。

 

・思ひ出と五臓に秋の蜆汁  野衾