遊ぶのにも才能が要るんですよね。
自分を棚に上げて開き直るわけじゃないけど、
得てして仕事するより遊ぶことのほうが難しい。
楽しむってね、もちろん積極性が必要だし、金だけじゃない、
もっと広い意味での元手がかかるんです。
受動的な遊びって多分ないんですよ。
マゾの人だって、
自分から叩かれに行くんですからね。
仕事は中途半端でも流れて行くこともあるでしょうけどね、
遊びだけは中途半端にやったら何も残らないよ。
(友川カズキ『友川カズキ独白録』白水社、2015年、p.205)
遊ぶのに才能が要るかどうか分かりませんけれど、
以前、東京の出版社に勤めていたとき、
社長が酒好きだったため、
連日社長に連れられ、飲み歩いていた時期がありました。
夜の時間のなかで、
いろいろな人、
さまざまな生態を見せてもらった気がします。
頭髪の薄い、ある飲み屋の主人が、
ブラシでアタマをポンポン叩いて刺激するのがいいというので、
激しくやった結果、
アタマからだらだら血が流れた、
というのがありました。
その話を聞いたとき、
オヤジさんの顔をじっと見てしまいましたが、
いま思い出しても可笑しい。
オヤジさん、
自分の店を閉めてから、
キレイな女性のいる飲み屋に夜な夜な出かけているようでした。
オヤジさんにしてみれば、
遊ぶ才能より遊ぶ髪、だったか。
・夜に入りなほ耳に棲む夏の海 野衾