収録後にゴールデン街でみんなで飲んで、やっと人心地ついてね。
私のアパートで鍋パーティをやる約束をして、
後日、
三上(寛)氏や評論家の松本健一さんなんかも交えて手製の鍋料理を囲んでね、
膝突き合わせて飲みました。
こっちもうれしくてベロベロに酔っちゃってね、
出したばっかりの私の処女詩集を見せびらかしたりした。
これは後ではっきり言われたんですが、
「この詩集の装丁はよくない」
と。
友人の日野日出志のイラストを使わせてもらったんですけど、
黒い空と海と難破船をバックに包丁を手にした男が立ってる絵ね。
中上(健次)さんは
「表紙が内容を言い過ぎていて、全然読む気にならない」
っておっしゃんたんだな。
正鵠を射た批評というかね、慧眼ですよね。
今になって考えてみると、
その通りだと思う。
(友川カズキ『友川カズキ独白録』白水社、2015年、p.177)
友川さんの処女詩集の装丁についての中上健次の発言、
納得します。
内容をギュッと圧縮し、
さらに圧縮したような装丁は、読んでいないのに、
なんだか中身が分かったような気になり、
得したというよりも、
むしろ損したような気になります。
本を実際に読みはじめた読者が、
本を読む時間とともに、
いろいろ気づいていくのがほんとうの読者サービス。
本のタイトルも、装丁も、
読者の「読書の時間」に資するものでなければならない、
と考えます。
・お社やいのちの祭蟬の声 野衾