鳥になる!?

 

ユングの『結合の神秘 錬金術に見られる心の諸対立の分離と結合』
(池田紘一訳、人文書院、1995年)の原注の数がものすごい。
上巻の本文が324ページなのに対し、
原注が144ページを費やしている。
1ページ読むのに、
指を挟んだ巻末ページの原注を何度見ることか。
ははー、
こういうことであったか、
と、
ふと気づきました。
下巻の巻末「訳者あとがき」だったか
と思いますが、
本文はいわば木の幹と枝で、注は葉である、と。
ユングがそう言ったのだったかもしれません。
付箋を貼っておけばよかったのですが、
いますぐにこのページと指し示すことができません。
スッと読み飛ばした言葉でしたが、
この本を読む営みは、
一本の木の枝と葉を往ったり来たりの頻繁な繰り返しで、
まさに、
鳥になった気分。
はなれて眺めればそれは一本の木であって。
長田弘の詩集に『人はかつて樹だった』
がありますが、
ユングのこの本を読んでいると、
人は今も樹である、の気分になります。

 

・珈琲を一口ごとの秋深し  野衾