謙について

 

初六。謙謙。君子用渉大川。吉。
(初六、謙謙す。君子用(も)つて大川を渉る。吉。)
象曰。謙謙君子。卑以自牧也。
(象に曰く、謙謙する君子は、卑にして以て自ら牧(やしな)ふなり。)

『初六。謙謙。君子用渉大川。吉。』
周易には、乾乾・謙謙・夬(くわい)夬・坎坎など
二字重ねてあることがしばしば出て居るが、
これ等は、さうした上にもさうするといふ意味である。
謙謙とは、
へり下る上にもヘリ下るという意味である。
(公田連太郎[述]『易經講話 二』明徳出版社、1958年、p.142)

 

むかしの日本人は、中国の古典をよく勉強していたようで、
キリスト者・新井奥邃もその一人。
奥邃の文章には「謙」の文字がよく登場します。
墨蹟に「謙虚」の文字があり、
暮らした学舎の名前は「謙和舎」でした。
奥邃がいかに「謙」の文字、またそのこころを大事にしていたかが分かります。
易のこの箇所を読み、すぐに奥邃の文を思い出しました。
ここにはまた「渉」の文字が使われています。
空間の移動を表す「わたる」は、
「渡り鳥」のようにふつう「渡」を用いますが、
ここでは「渉」。
さんずいに「歩く」で、渉る。わたる。
大きい川を渉る。
公田連太郎はこの箇所の解説に、つぎのように記しています。
「君子は、このヘリ下る上にも又ヘリ下る徳を用ひて、大なる川を渉り、
即ち険阻艱難なる場処を乗り越すのであり、
吉にして福(さいはひ)を得られるのである。」
ことは君子に限らないでしょう。
「徳を身につける」のでなく、
「徳を用ひて」というのがおもしろい。
険阻艱難を乗り切るのに、謙謙、徹底的にヘリ下ることが肝要
というのは、
きわめて戦略的、実際的、生活的であると感じます。

 

・逆光の暈に突き入る飛蝗かな  野衾