技あり

 

暴走族っても、淋しがりやが多いわけ。
あいつら、ひとりずつだったら根性小さいのばっかりよ。やさしいコなのよ。
それを、こういう社会の中で、さわらぬ神にたたりなしってやるから、
よけいグレちゃうのよ。
グレるってこと、どういうことか知ってる?
うん、はぐれるってことなんだ。
群れから離れる。はぐれる淋しさ。のけもの。
先に道がないんだ。
ところが、
いまの確立した社会では、その社会の動きを邪魔する行為をグレるっていう。
ほんとは違うんだ、はぐれるなんだよ。
はぐれてんのは、本人が望んでるわけじゃないんだよ。
ますますはぐれるところへ、自分で自分を追いこんでいる。
まわりがそうさすから……。
まわりが、電気暗くしちゃうから。
ますますはぐれる。もっと逃避したくなる。
(矢沢永吉『矢沢永吉激論集 成り上がり』角川文庫、1980年、pp.279-280)

 

出川哲朗がバイブルだという矢沢永吉の『成り上がり』、
おもしろく読みました。
角川文庫になる前、
1978年に小学館から単行本で出たらしく、
当時矢沢は二十代後半。
インタビュアー、編集の糸井重里は矢沢より年齢一つ上。
ふたりとも二十代。
二十代でこういう仕事をしていたかと思うと、
ちょっと信じられないぐらいです。
矢沢の口調を生かした編集になっていると感じますが、
当然のことながら、
実際の語りそのものではないはず。
しかし、
読み進めていると、
まるで矢沢が目の前で熱く語っているよう。
語りが熱してくる場面では、助詞がけっこう省かれて、
そこだけ取り出して引用したら、
何を言っているのか理解しづらいのでは、と危ぶまれるぐらいに。
ところが、
読んでいく過程ではちゃんと理解が及ぶ。
そういう編集の技を二十代で会得していたのかと舌を巻きます。

 

・鴇色に揺るるともなし薄かな  野衾