止而說

 

止まりて說ぶといふは、
じつとして止まるべき所に止まつて悅んで居るのである。
悅ぶけれども有頂天にならないのである。
有頂天になつて動きまはらず、正しい道に止まつて悅んで居るのである。
悅の爲めに中正の道を失はないのである。
これは重要なる見方であつて、
後の六爻の言葉にも、動くことを善しとして居らず、
止まることを善しとして居る。
止而說といふ三字は、重要なる文字であり、
尚ほいろいろな意味に發展するのである。
(公田連太郎[述]『易經講話 三』明徳出版社、1958年、p.12)

 

まあねえ。耳の痛い話です。
「說」も「悅」もよろこぶ。
よろこんでも、有頂天になってはいけない、
か。
よろこぶとすぐに有頂天になるからなあ。
気を付けようと思います。
でも、よろこんだら、
有頂天にならず、ジッとしていても、
にやついてしまいそう。

 

・冬日差す径の背負子に故郷かな  野衾