まえに書いたことですが、
今回のコロナのことがなければ、
2009年に弊社が出版したクエンティン・スキナーの『近代政治思想の基礎』
を改めて読むことはなかったと思います。
スキナーの本の副題は、
「ルネッサンス・宗教改革の時代」となっており、
以後の世界史において、
ふたつのエポックがいかに駆動力になったかが分かりました。
モンテスキュー、ルソーに影響を与えたジョン・ロックの政治思想に、
急進的カルヴィニズムが響いている
ことが重層的に論じられており、
スリリングな歴史のダイナミズムを感じます。
また、
この本を読みながら、
ルネッサンス、宗教改革の時代の「きのう」「きょう」を生きた人びとは、
「いま起きている」ことが、
これからつづいていく長い歴史の礎をなすとは考えなかった
のでは?
ということ。
多くの人がそうだったのではないでしょうか。
ヤーコプ・ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』
を訳した新井靖一さんは、
後記のなかで、つぎのように語っています。
「再生」という意味の「ルネサンス」(Renaissance)という言葉
(イタリア語のリナシタrinascita)は、
ヴァザーリの『美術家列伝』において初めて意識的に使われたものであり、
その後フランスの歴史家ジュール・ミシュレが
『フランス史』第七巻「ルネサンス」(一八五五年)において、
十六世紀のヨーロッパをそのような時代として捉えたことに由来している。
ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』において初めて
ルネサンスという呼称は特にイタリアと結びつけられ、
十四―十六世紀における歴史的現象を
人類史上の一つの特記すべき発展段階と捉えるものとなった。
(ヤーコプ・ブルクハルト[著]/新井靖一[訳]『イタリア・ルネサンスの文化』
筑摩書房、2007年、p.676)
歴史は、つながっていて、
にんげんは、喉元を過ぎれば忘れてしまいがちですが、
歴史のほうは、重要な事象をけっして忘れず、
歴史の名に値する理法をにんげんに示してくれるようです。
・靴底を手にして開く栗の毬 野衾