マスクのこと

 

街を歩いていても、
電車内でも、
このごろは圧倒的にマスクをしている人のほうが多くなりました。
たまにマスクなしの人を見ると、
そこに目が行ってしまうぐらいに。
先日、
初めて来社する大学の先生がありました。
こちらもマスクをしていましたが、
打ち合わせの間、
先生もずっとマスクのまま。
目は口ほどに物を言うとされてきましたが、
近ごろは、
さらにいっそう物を言います。
日本人はこれまで、
相手を見ないで話すともいわれてきたけれど、
大事な打ち合わせですから、
わたしも先生も目は直視したまま。
と、
話し合いがだいたい済んだので、
コーヒーを淹れて出しました。
このとき、
先生、
おもむろにマスクを外した。
その所作がなんともやわらかく、ゆっくりと、
それでいて無駄がなく、
見ていて、
なんだか少しドキドキしました。
さて、
きのうのことです。
帰宅途中、
保土ヶ谷橋の交差点に立ち、
信号が変わるのを待っていたところ、
すぐ近くに立っていた若い女性がマスクをずらして何か飲みはじめました。
おや?と目が留まった。
マスクを鼻の方へずらして飲んでいます。
なんとなくですが、
違和感がありました。
じぶんだったらどうするだろう。
マスクを外さないとすれば、
上でなく、顎のほうへずらしてから飲むのでは…。
たかがマスクですが、
これほど日常に浸透してくると、
ちいさいドラマがあちこちに生じているようです。

 

・夕涼や東の丘の翳りゆく  野衾

 

静黙の音

 

会社では、いつも小さな音で音楽をかけているのですが、
先日、
なんとなく、
小さな音であっても、
音楽をかけることが憚られるような
そんな気配が社内に充ちている
気がしたことがありました。
きりりとした草原の朝のようでもあり、
深山幽谷の空の下にいるようでもありました。
耳をすませば、
紙をめくる音、
外を走る自動車の音が聴こえます。
ああ、
みんながこの空気を作り出すのに一役買って、
わたしもその一人で、
そうして、
その空気のなかで
わたしも生かしてもらっている。
そんな気がしたのです。
二十年かかりました。
二十年かけて、
この空気が醸しだされたと思いました。
コロナ禍は、
いまのところ予断を許さぬ状況ではありますが、
野にある学術書の出版社として、
真摯に、静かに、集中して、
ながく読まれるいい本をつくりつづけたいと思います。

 

・本を閉じひと風呂浴びて涼しさよ  野衾

 

再放送の「いま」

 

旅番組が好きで、きのう月曜日は『帰れマンデー見っけ隊!!』
旅をするのは、
サンドウィッチマンのふたりのほか、
ゲストの羽田美智子、大谷亮平、友近の三人。
すでに放送したものの中からこれぞと思うものを選び、
再編集して放送するもの。
コロナの影響で、
このごろは、
こういうたぐいの番組が増えていますが、
再放送のものだとどうしても
「これ、まえに見たな」
ということが少なくありません。
番組側も、
その弱点を回避するためでしょうか、
前の放送でつかわなかったシーンを入れるとかの工夫をしているようです。
さらに、
再放送物はどうしても、
少し色の褪せた「過去のもの」
の印象がぬぐえません。
そこで、
前の放送を、
当時その回に出演した人間が今の時点でいっしょに観なおすことで、
視聴者の「いま」との同機同調を図る
という工夫があります。
旅の映像は過去でも、観ているのは「いま」
このライブ感が大事な気がします。

 

・膝頭祖父に似てゐる端居かな  野衾

 

『詩経』はだれが?

 

梅原 どういう形で編集されたんですかね。誰が『詩経』というものを編集
したんでしょう。
白川 『詩経』の編集をやったのは楽師集団です。
楽師が全部伝承しておって、
各斑に分かれて、みんなそれぞれの持分の詩を覚えてやっとった。
それで第一演奏、これは決まった「入楽の詩」をやる、第二演奏、第三ぐらいまでね、
決まった詩篇を担当する。
ところが向こうの宴会は夜通しやるからね、
その後も色々やる訳ですよ。
そうするとそういう集団がみな出て来てね、自分の持分で、お好みに応じて、
それじゃ何の曲をやりましょう、という風にして演奏する。
そういう風にして楽師がずっとね、
孔子の時代まで伝えておった。
孔子の時代までは、僕は公表されたテキストはなかったと思う。
(白川静+梅原猛『呪の思想 神と人との間』平凡社、2011年、pp.228-229)

 

いやぁ、目から鱗が落ちるとはこのこと。
『詩経』は中国最古の詩集で、
あまり疑問を持たず、
なんとなく、
孔子が整理してまとめたもの、と思ってきましたから。
しかも『詩経』のなかには、「碩鼠(せき)」というタイトルの詩
がありますが、
これは大きなネズミを指し、
時の王様を批判して
「碩鼠、碩鼠、我が黍(しょ)を食(くら)ふことなかれ」
と歌うもので、
日本とは大きく異なります。
こんな詩を楽師が歌うなんてこと、
日本ではまず考えられません。
山上憶良の「貧窮問答歌」にしても「碩鼠」ほど直接的ではなく、
思い浮かぶのは、
明治・大正期に活躍した演歌師・添田唖蝉坊ぐらい。
国柄のちがいをあらためて思い知らされます。

 

・南風(みなみ)来て撫で戯れて去りにけり  野衾

 

詩の根源を求めて

 

呪言は呪術儀礼が万有を支配しうるとする共感的な世界観の所産であり、
諷誦は人々の感情と知性とに訴えるもので、
人々が神秘的な世界観、
集団表象の緊縛から脱してきた世界において成立する。
そのような世界こそ、
宗教的観念に連なる言語観から脱して、
自由にその感動を形象化する、[詩]を成立せしめたところの基盤である。
従って原初の呪言的な世界から[詩]の世界に移行するためには、
社会的基盤の変質が必要であったのである。
しかしそういう変質は、
実は社会構造の変革という社会史的な変動がなくては、
もたらされがたいものであった。
[詩]の時代は、
これを社会史的にいえば、古代氏族社会の崩壊によってもたらされた。
それは殷周革命が結果したところの、最も大きな変革であった。
(『白川静著作集 9』平凡社、2000年、p.320)

 

[詩]の世界の前の時代に位置する豊饒な呪言的世界。
それが崩壊して初めて[詩]の世界が歴史上現れるという白川さんの考えは、
言葉と物の関係の大きな広々とした世界へいざなってくれるようだ。
中国の『詩経』のことを論じつつ、
たとえばギリシア、日本へと想像は飛翔する。

 

・眼が慣れて動くものゐる木下闇  野衾

 

捨てる覚悟

 

大学生だったころ、
社会科教授法(たしかそんな名前)とかいう講座を受講しました。
岩浅農也という先生でした。
いわさ・あつや、
と読みます。
その先生の話で印象に残っているのは、
授業準備はどんなにしてもいいけれど、
教室に入る時には、その教案を捨ててかかりなさい云々。
すっかり準備したものを捨てる覚悟、
そのことがあってこそ、
目の前の生徒たちに言葉がとどき、
対話が豊かになる。
岩浅先生に言われたことは、のちに、
ピーター・ブルックの『なにもない空間』を読んだときにも思い出しましたが、
今回、
加藤常昭編訳による『説教黙想集成』を読んでいて、
まったく重なることが書かれてあり驚き、
また、教師時代の苦労と工夫を思い出しました。

 

説教の言葉は、
説教者の身についたものでなければなりません。
原稿に記録されたとしても、原稿がなくなったら思い出せない言葉であったり、
実際に説教するときにも、
原稿に縛りつけられたような話し方になっているのなら、
それは聴く者の耳に届く言葉とはなりにくいでしょう。
理想的なことを言えば、
十分に準備して発見し、獲得した言葉を、
原稿がなくても自由に語ることができるほどに体得する
ことが求められるのです。
たとえば私が、
教会学校の教師たちが子供たちに説教をするときに必ず求めることがあります。
それは、
原稿をきちんと書くこと、
しかし、実際に説教するときには、
その原稿を持たないで語ること、
しかも、その言葉が原稿からかけ離れたものではないことです。
(加藤常昭編訳『説教黙想集成 1』教文館、2008年、pp.67-68)

 

・踏み慣れし階段すずし帰宅かな  野衾

 

営業は

 

週に一度ぐらいの頻度で、
保土ヶ谷橋そばの駄菓子店「こけし」に寄ります。
小さい店ですが、
コンビニでは見かけない煎餅やおかき、きんつばなど、
品ぞろえは豊富です。
寄ればいつでも女将さんと立ち話。
このあいだは営業マンのことを話してくれました。
要点は、
仕入れを急がせるような営業マン、
立て板に水のごとくによくしゃべる営業マンは気を付けるようにしていると。
お客さんに好まれ、長く売れる商品は、
短期決戦で勝負するようなものとはちがう。
季節限定というのもよく吟味して。
商売は急いではいけない、の言葉に納得。
「揚いそべ」「二度揚げ餅」「きんつば」を買いました。
きょうから七月。
七十二候では半夏生。

 

・ゲラ読みを終えて涼しき窓の原  野衾