『詩経』はだれが?

 

梅原 どういう形で編集されたんですかね。誰が『詩経』というものを編集
したんでしょう。
白川 『詩経』の編集をやったのは楽師集団です。
楽師が全部伝承しておって、
各斑に分かれて、みんなそれぞれの持分の詩を覚えてやっとった。
それで第一演奏、これは決まった「入楽の詩」をやる、第二演奏、第三ぐらいまでね、
決まった詩篇を担当する。
ところが向こうの宴会は夜通しやるからね、
その後も色々やる訳ですよ。
そうするとそういう集団がみな出て来てね、自分の持分で、お好みに応じて、
それじゃ何の曲をやりましょう、という風にして演奏する。
そういう風にして楽師がずっとね、
孔子の時代まで伝えておった。
孔子の時代までは、僕は公表されたテキストはなかったと思う。
(白川静+梅原猛『呪の思想 神と人との間』平凡社、2011年、pp.228-229)

 

いやぁ、目から鱗が落ちるとはこのこと。
『詩経』は中国最古の詩集で、
あまり疑問を持たず、
なんとなく、
孔子が整理してまとめたもの、と思ってきましたから。
しかも『詩経』のなかには、「碩鼠(せき)」というタイトルの詩
がありますが、
これは大きなネズミを指し、
時の王様を批判して
「碩鼠、碩鼠、我が黍(しょ)を食(くら)ふことなかれ」
と歌うもので、
日本とは大きく異なります。
こんな詩を楽師が歌うなんてこと、
日本ではまず考えられません。
山上憶良の「貧窮問答歌」にしても「碩鼠」ほど直接的ではなく、
思い浮かぶのは、
明治・大正期に活躍した演歌師・添田唖蝉坊ぐらい。
国柄のちがいをあらためて思い知らされます。

 

・南風(みなみ)来て撫で戯れて去りにけり  野衾