本の匂い

 

自宅近くに、ひとりで畳を製造している店があり、
前を通ると、
独特の匂いがしてきます。
この季節の気温、湿度もあってか、
先だっては、
しばし佇んで、その匂いを満喫しました。
匂いの主な成分は、
畳の材料である藺草でしょうか。
三橋美智也の『達者でな』の歌に
「わらにまみれて育てた栗毛」という文句が出てきますが、
わらの匂いもまたつよく郷愁を誘います。
匂いを感知するのは脳の古層だと聞いたことがあります。
人間が、
母の胎のなかで
人類進化のながい歴史をくぐって生まれる
ことを思えば、
植物だったかつての時代も何らか体験するのかもしれません。
さて、
本のことです。
このごろ少し色あせた紙の本を読んでいて、
なんとも懐かしい感じに襲われました。
懐かしさとともに読むことの悦楽。
それはたとえば、
ショーロホフの『静かなドン』のなかの、
藁がある場所での若い恋人たちのシーンを思い出させます、
不確かな記憶ではありますが。
具体的なイメージが浮かばなくても、
そして、むしろ、
こちらの方が本質的かとも思いますが、
紙の匂いによって脳の古層が刺激されながら読むということは、
ひょっとしたら、
じぶんのこれまでの経験のなかで、
経験と重ねながら読む
ことにつながっているのではないか、
そんな気さえしてきます。
哲学の本でも、
そういう匂いのなかで読むことにより、
ちがった風景が開けてくるようにも思います。

 

・振り向けばふるさと光る虹の中  野衾