早とちり

 

・女医が来た喜びと知る英単語

老眼がすすんだということでしょうけれど、
本にかぎらず、
いろいろなところで目にする文字の
見まちがいがはなはだしく。
昨日、
一日の楽しみである昼食に
いそいそと出かけたときのこと、
目の前をゆっくりすすむクルマの
ドアに記された文字が眼に入りました。
「水漏れ、つまり修理に」
ん!?
ん!?
どいうこと??
小走りに追い掛け、
信号待ちしているクルマに追いつきパチリ!
は。
そうだよな。
読点じゃなく中黒であったか。
そりゃそうだ。
「結局のところ」「要するに」の意味の副詞であるわけがない。
また。
わたしは恣意なリンゴさん、
いや、椎名林檎さんが好きなのですが、
まだ読んでませんけれど、
昨年十二月にでた『音楽家のカルテ』を
アマゾンでチェックしていたら、
出版社からのコメントにこうありました。
「葛飾と苦悩の果てに迎えた 鮮やかな進化と華麗なる覚醒とは?
いつも新しく在り続ける表現者のかくも美しき軌跡がここに」
ん!?
どうして椎名さんが葛飾と苦悩するのだろう?
それにだいたい
「てにをは」がおかしくねーか?
「葛飾と苦悩の果て」はないだろうよ。
再見。
は。
「葛飾と苦悩の果て」にあらず!
「葛藤と苦悩の果て」であった!
ははははは…。
事ほど左様に老眼とみに進行中!

橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の六回目が掲載されました。
コチラです。

・ようやくにひざ掛け要らず読書かな  野衾

危機一髪

 

・だれ待ちて朧にうねる鶴見川

大腸検査をしばらくやっていないことを
ふと思い出し、
九年ぶりに内視鏡検査を受けに行った。
九年ぶりですか、
小さいのがぽつぽつあるかもしれませんね、
などと脅されつつ始まったのだが、
ポリープはひとつもなく無事終了。
数箇所赤く炎症を起こしているとのことで、
念のため細胞を取って検査に回し、
結果は後日聞きに行くことに。
検査が終っての直後、
目元ぱっちりつけまつけるの看護婦がそばに来た。
「いかがですか? だいじょうぶですか?」
午後は社内の重要なミーティングがあり、
検査が終ったとなったら、
即刻帰ろうと思っていたので
「はい。だいじょうぶです」とキッパリ!
「すぐ動いてだいじょうぶですか?」と、つけま。
「はい。これ、この通り」
そういって、そそくさと帰り支度をし、
その日の勘定を払い外へ。
だいたいわたしは病院が嫌いなのだ。
と、
なんだかお腹がぎゅるぎゅるする。
ははあ、
お腹に空気を入れながらの検査だったから、
ガスが溜まっているのだな。
ま、どうってことないや。
横浜線の電車に乗って桜木町へ。
ぎゅるぎゅるぎゅるぎゅるぎゅるぎゅるぎゅるぎゅる。
だんだん腹が張ってくる。
ガスを出せば楽になることは分かっている。
が、ガスを出す=屁。
ところが、
内視鏡検査のため大量の下剤を服用しているから、
安易にガスを出すわけにはゆかぬ。
なぜなら、
ガスを出すつもりが、実=糞
が出ぬとは限らぬ。
東神奈川駅を過ぎた辺りで、
シートから離れ、ドア付近でうずくまる。
もうダメ。
し、しかし、
こ、こんなことで電車を停めてしまったら、
三浦家末代までの恥。
くっ、くっ、くっ、くっそーーーーー!!!
ほ、ほ、ほんとに、くそが出そう!!!
横浜駅に着いてドアが開き
外へ飛び出しホームでうずくまった。
ふーふーふーふーはーはーはーはー……。
もはや虫の息。
「だいじょうぶですか? 駅員さんを呼びましょうか」
苦しさにあえぎながら見上げると、
サラリーマン風のりゅうとした男性と
髪の長い妙齢の女性。
やがて駅員ふたりが来、
病院へ連絡しましょうかと言ってくれたけれど、
「いえ。トイレに着けば治りますから」
と丁重にお断りした。
駅員の一人がわたしの鞄を持ってくれトイレまで同行。
「もうだいじょうぶですから…」
「ほんとうにだいじょうぶですか? 外にベンチもありますから。では私はこれで」
カフカの虫になったような気分でトイレまで。
便器にまたがりズボンを下ろし、
ガフガフガフ、ガ、フ、ガフッ、フ、フ、フーーーッ。
ああああああああ、すっきり!!
駅員さん、声をかけてくれた男性、女性、
まことにまことにありがとうございました。

・うららかやひとりダウンの時期外れ  野衾

ジョン・ダウランド

 

・事もなし三月呆け半ば過ぐ

会社でBGMを流しておりまして、
午前はクラシック、
午後はジャズやロックやソウルやブルース。
午後四時ごろになると、
ジョン・ダウランドの四枚組CD『リュート作品全集』から一枚。
記憶違いでなければ、
英文学者の中野好夫の葬儀でこれをかけたということを、
お嬢さんの中野利子が
『父 中野好夫のこと』に書いており、
さっそく買って
聴いてみたらとてもよく、
以来会社で《午後四時の音楽》となった次第。
ところで、
リチャード・エルマンの
『ジェイムズ・ジョイス伝』を読んでいたところ、
ジョイスもダウランドを好んでいた
ことが記されており、
へ~、ジョイスがね~、
あのジョイスがね~、
と、
なんだかうれしくなりました。

・朝おぼろ昼覚醒し夜おぼろ  野衾

砂時計の砂

 

・ピンクのは桃か桜か紅梅か

出版の打ち合わせの帰り、
吉祥寺から電車で新宿へ出、
乗り換えのため
エスカレーターに乗ろうとしたときのこと、
ホームから溢れんばかりの群衆が
ちょびちょびさらさらと
進んでいたときに、
中学生よりはおとなびて、
大学生よりは初々しい、
おそらく高校女子のうちのひとりが、
「砂時計の砂みたい」
に対して、
「え! なにが?」と、
もうひとりの高校女子。
「わからない?」
「わからない」
ひとり措いて後ろにいたわたし、
すぐにわかったので
即刻挙手をし発言したかった
のですが、
ここは教室ではなく、
それはできかね、
かといって、
その娘の耳元で囁いたりなどしたら、
このひと変なおじさんと
警察に突き出されることだって
ありえないことではなくアリエール、
だから、
答えを知っているのに、
答えることもかなわなくて
群衆の砂の一粒として、
ただ静かにエスカレーターの
進行に従っておりました。

・武蔵野の校舎おぼろに黙しけり  野衾

円空・木喰展

 

・デパートの桜盆栽円空展

そごう横浜店で開催されている
円空・木喰展を見に。
円空の「木端仏」と称される一連の仏には驚きました。
木端とは、こっぱ。
木の切れはし。
木の中に仏様がいらっしゃって、
その声を聴き、
その形を見て彫るのだ
というようなことをよく耳にしますが、
円空仏はまさにそれだなあと。
のびのび大らかで、
鉈一丁で生涯十二万体の像を彫ったといいますから、
半端じゃありません。
なかにはどこが顔なのかよく分からぬような、
天衣無縫、
抽象的なる仏様もあって、
なんとも愉快愉快!
このひと天才だあな。
さて次に控える木喰さんの彫る仏様の、
とくにその顔は、
まるくま~るくまんまるで、
ほっぺがぷくっとして、
アンパンマンだなこりゃ。
よく生きることはよく笑うこと。
ふたりの造った仏像・神像が全国各地にあり、
当時から愛され、
今も愛され続けているということに納得。
展覧会場を訪れるひとびとも、
老若男女多種多様、
わたしもとっぷり紛れ込み、
しばしいい気分に浸り、
帰りは保土ヶ谷で一杯ということに相成った次第。

三月十三日付『神奈川新聞』に
拙稿が掲載されました。
コチラです。

・アンパンの仏彫ったる木喰展  野衾

北上川座談会

 

・風吹くや花粉薬は九層倍

二〇〇五年に出版した写真集『北上川』が
三刷りまで増刷となり、
在庫が少なくなってきていた折、
東日本大震災が発生し、
かつてあったふるさとの姿をとらえた写真集
への引き合いが増し、
完売いたしました。
さらに増刷といったん考えましたが、
「引き合い」の意味を思量し、
郷土史家の協力を得られたこともあり、
撮影年月の場所を付して、
増刷でなく
新版として装いも新たに出版しました。
装丁は、
写真集『石巻』と同じ桂川潤さんです。
事前に、
敬愛する佐々木幹郎さんにゲラを見てもらい、
詩の創作と
座談会への出席をお願いしたところ、
ご多用中にもかかわらず、
快く引き受けてくださいました。
座談会のまえに、
「北上川――橋本照嵩のためのメモランダム」
という詩を寄せていただきました。
すばらしい詩です。
その詩をふまえ、
後日、
春風社で座談会が執り行われました。
座談会の内容が掲載された図書新聞は、
紙面の中央に「北上川」の詩が置かれ(レイアウトがすばらしい!)
四隅に、
宮城県出身の橋本さん、奈良県出身の佐々木さん、
東京都出身の桂川さん、秋田県出身のわたしの顔写真。
北上川は、
岩手県と宮城県を流れる一級河川ですが、
「北上川」の詩が
日本全国を深く深く静かに、
滔々と流れ流れているように見えてきます。
詩とあわせ、
座談会でのそれぞれの発言も
お読みいただければありがたく。
画面を拡大してご覧ください。コチラです。
また、
橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の五回目が掲載されました。
コチラです。

・針嘴魚とは俺のことかとサヨリいい  野衾

花粉対策

 

・陸の上サヨリに似たるひとを視た

わたしの場合、
花粉症にはまだなっていないはず。
なのですが、
鼻がむず痒いことがあり、
これはひょっとしたらと思わないでもなく。
花粉症というのは、
去年まではなんでもなく、
今年の今日この日をもって花粉症になりました、
そんなふうに、
はっきりしているものだそうで。
警戒怠りなく!
そう自戒してはいるものの、
何をどうすればいいのか、
どうもまだ他人事でありまして、
しいて言うなら、
飛び交う花粉が一応の収束をみるまでは、
鼻毛を抜くのは止めようかと。
リンゴを齧ると歯ぐきから血がでる人がいるように、
鼻毛を抜くとクシャミがでますが、
あれはきっと、
なかの粘膜が傷つくからで、
その小さな傷口から、
花粉が侵入しないともかぎりません。
なので、
ここしばらくは鼻毛は抜かずに、
ハサミで切ろうかと。
まあ、
二、三ヶ月で
鼻毛がそんなに伸びるとも思えませんけれど…。

・黙すれど物言いたげな針嘴魚かな  野衾