あいまいさの強度

 

・梅一輪けふ一日の重さかな

あいまいの反対は正確、
ということになるのでしょうけれど、
あいまいさはこのごろ
とんと人気がなく、
反対概念の正確さがもてはやされます。
あいまいさを嫌い、
正確を期して辞書事典で調べたり、
いまならウィキペディアで確認したり
ということになりますが、
確認できて
あいまいさが解消されれば、
気持ちは落ち着きます。
が、
気持ちを落ち着かせることが
ちょっとはばかられる、
あるいは
マズイ、
私的にはもったいないと思うことも。
あいまいなものの代表として
記憶があり、
記憶はあいまいであることが通り相場になっています。
が、
あいまいな記憶のなかには、
体と心にでんと居座り、
調べもつかず、
なにを調べていいのかも分からないものがあります。
まだことばにできなかったり、
ならなかったり、
澱みたいなものがよどんでいてうずを巻き、
そう感じられるときは、
それを溶かすよりも、
むしろ、
待って待ってじっと待ち、
あいまいさを解消するのではなく、
強化する方向で只管に。
自分一人のことばというものはなく、
したがって、
ことばは公ではありますが、
本を読むことを通して、
公がやがて私に変容する瞬間が訪れ、
正確さへの志向は脆弱で、
あいまいさはむしろ宝と思える日はうれし。

・白梅や太古のときを開き染む  野衾