不可逆

 

 嵐去りズボンの下の余寒かな

今年は電子ブック元年だそうで、
いろいろなところでそれに関するコメントを目にします。
出版社の人間としては気になるところです。
「スノッブなインテリは、紙で本を読むようになるだろう。」
などと扇情的な意見を言う輩もいますが、
どうも新しいメディアに乗った仕事で
生計を立てている人のようです。
そんなことを言われたら、
わたしのように旧来の紙の本をつくることで
生計を立てている人間は、頭にきて、
「鈍感なインテリは、電子ブックで本を読むようになるだろう。」
と見栄を張り、喧嘩を売りたくもなります。
いずれにしても、あまり褒められたことではありません。
いまわーわー声高に叫んでいる人々を尻目に、
本も電子ブックも存在しているような気もします。
行く河の流れは絶えずしての言葉どおり、
時の流れを元に戻すことは叶いませんが、
仲のよい近所の子どもが、プレゼントした紙の本を
何度も読み返している姿を見るにつけ、
本が人間にとってどういう意味を持つかを解明するのは、
わたしたちでなく、
生まれたときからディスプレイに囲まれて育った世代かなと
思えてきました。
紙の本があたりまえであった時代の人間の、
新しい時代に関する言葉よりも、
ケータイ電話、ゲーム機、
電子ブックがあたりまえの時代の人間の、
古い時代に関する言葉を聞きたい。
きっとそのほうが説得力に富んでいるでしょう。
それにはもう少し時間がかかりそうです。
なので、春風社としては、
しばらくはこのまま紙の本を作っていくつもりです。

 男根の名のみ勇まし余寒かな

100221_1115~0002