ケンチャナヨ

 

 ふみ待ちてそわそわ顔の弥生かな

今月末刊行予定の『釈譜詳説』(上)のチェックのため、
昨日も河瀬先生にお越しいただき、
結局、四日連続でお運びいただいたことになる。
天才多聞くんの天才ぶりが今回も遺憾なく発揮され、
ほれぼれする装丁のラフができた。
先生の奥様もたいそう喜んでくださったそうだ。
ラフの紙を撫でさすりながら、先生は、
韓国の人はきっと驚くだろうとおっしゃった。
韓国では、本を作るのにそんなに凝らないらしい。
自前で紙を出力し、束ねて糊付けし、
それで本を出しましたというようなイメージがあるという。
以前、『僕の解放前後 1940-1949
(柳宗鎬(著)/白燦(訳)/太田孝子(日本語校閲))ができて、
韓国の原著者に送ったとき、
柳先生は、日本の本作りの技術をいたく褒めてくださった。
アメリカの場合も、ペーパーバックで代表されるような、
割りと簡易な製本が多いのかもしれない。
本を情報として読む文化と、
そうでない文化の違いがあるような気もする。
情報として本を読む文化が一般的な地域では、
電子ブックへの移行が速やかに行われるだろう。
韓国語で「気にしない」ことを、ケンチャナヨと言うそうだ。
ケンチャナヨ、ケンチャナヨ。
気にしない、気にしない…。
気にしないことがいいのか、気にすることがいいのか。
善し悪しの問題でなく、
本作りに対する意識の違いがあるようにも思える。

 春風や朝日とともに匂ひけり

100221_1140~0001